Revueの日記

Revueの日記

歌詞の解釈やライブレビューなど、好きな音楽の話を主に書いていきます。Mr.Childrenが中心になると思います。

レミオロメンと月ー朝顔から月食へ

 

藤巻亮太というアーティストは、宇宙のモチーフを多用します。宇宙が好きだとよく語っています。

 

中でも「月」は歌詞に頻出します。

そんな彼の「月」の使い方を初期から追ってみよう、という企画です。音源もいくつか貼っていきます。

 

朝顔】2003年発表。1stアルバム「朝顔」収録。

砂漠を歩きましょう 月は砂をなじる

一人で歩けるさ 朝顔の種を蒔き

夜の砂漠の孤独の中でも心に水を満たして花を咲かせよう、という歌。夜の明かりとして月が出てくる。
レミオロメン - 朝顔

 

【すきま風】「朝顔」収録。

すきま風 すきま風

忍び足 窓に月の灯が

なびいたカーテンに月の灯が

冷え込んだ部屋に月の灯が

寝れない夜の焦燥感の歌。月は不安な光。

 

【追いかけっこ】「朝顔」収録。

どうして陽が傾いた 月が太陽追いかける

「自分の無力さを噛みしめながらも、何かができるはずと漠然と信じている」という歌です。月は影の象徴で、決して太陽に追いつけない存在。

 

【3月9日】2004年。3rdシングル。2ndアルバム「ether」収録。

昼前の空の白い月は なんだか綺麗で見とれました

この曲は新たな門出のイメージ。これまでマイナスな存在として描かれてきた月すらも、ぼんやりと肯定的に見えている。*1

 

【夏前コーヒー】2004年。4thシングル「アカシア」収録。

雲の隙間の今夜の月は綺麗です あなたのようにふわりと揺れた

もう眠ってしまいたいな 朝になれば 全部忘れているかな 

いなくなってしまったあなたへの思いを蒸し暑い部屋でねっとりと考える歌。遠く美しくて手の届かないあなた=月。朝になれば消えている?

 

 【茜空】2007年。10thシングル。

夕べの月の 一昨日の残りの 春の匂いで目が覚める

茜空 痩せた月夜さえも

朝へと染め上げるから

夜と朝の狭間で 始まりの孤独の染まろうと

瞳には未来が輝いているそう春だから

アイランドの夜から、「パラダイム」を挟んで発表されたのがこの曲。春の予感。希望の象徴としての茜空と月夜の対比。 アイランドは後述します。

 

【星取り】2008年。4thアルバム「風のクロマ」収録。

手のひらほどの月が見えた あの夏の景色重なった

時の流れの中で一人になってしまった自分が過去を振り返る歌。月は以前と変わらない輝きの象徴。

 

【オリオン】2009年。16thシングル「恋の予感から」収録。

夜空を満たす風が月光を泳いでいる

眩しい雪の反射 羽ばたいた無名の渡り鳥のような青い月

クリスマスの歌。月は夜の冷たさの象徴。

 

【大晦日の歌】2010年。5thアルバム「花鳥風月」収録。

月は半月を少し欠いて

月が沈む頃にはきっと 年も明けるね

初夢の中で会うまでおやすみ 欠けた月の下で

不安定・不格好な生活の中に感じるひとときの幸せを歌った作品。2人の関係が不完全な三日月に喩えられつつ、時間的変化のイメージにも重ねられている。


レミオロメン - 大晦日の歌 (LIVE).mp4

 

 

【Tommorow】「花鳥風月」収録。

真っ白な月を見ながら堪えた 悔し涙で滲んだ

星空は綺麗だった 何倍も明るかった

Ah 明日はその向こう そうさ明日があるさ

1行目はアイランドの続きっぽい。涙で景色が滲むことで星空の美しさに気付き、夜の向こうの明日に思いを馳せる、という構成。

個人的には、これまで藤巻氏が歌ってきた「月」の悩ましさに対して「明日があるさ」との回答があまりにあっさり過ぎるように思えて、やっぱり花鳥風月の頃の歌詞は物足りないなあと感じてしまう。

 

このように色々とありますが、基本的に「冷たさ」「夜」「苦しさの中の輝き」というイメージで括られているように思います。

 

こうした用法の中で、特に「月」使いが秀逸だと感じるのが、「アイランド」と、ソロ楽曲の「月食」です。

 

【アイランド】2006年。ライブアルバム「Flash and Gleam」収録。

3rdアルバム「HORIZON」を出してイケイケだった頃に発売した今作。

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このアルバムは2枚組で、Flashがそのイケイケな、観客の歓声の中で盛り上がるレミオロメンのライブ音源。一方のGleamには新曲「アイランド」の音源だけが納められました。アイランドは「暗すぎ」という理由でシングルカットできず、こういう形になったのだとか。

Flashの中で失っていったもの、肥大化する虚像に対して藤巻氏がどうしても拭い去れなかった違和感がストレートに吐露された作品です。

 

"Your songs "with strings at Yokohama Arena レミオロメン-アイランド - YouTube

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活動休止直前のスペシャルライブの音源です。*2

 

歌詞を初めから見ていきます。

君に好かれて 君からは嫌われたんだ

僕は後ろ側 仮面を忍ばせる

昔からのファンが離れても、嘘を背負ってでも生きていかないといけない。

笑った顔は引きつって 流した涙は冷めていた

理想や愛の言葉は口よりも前に響かない

心臓の音が鼓膜破るよ

HORIZONには分かりやすいラブソングや、デビュー以来避けてきた英詩も使われています。そんな自分に対して、内的衝動が暴れだす。

彼方から三日月の明かりに照らされた道

僕はどこに行けばいい 外は冷たい風 すすきが揺れているよ

夜にたたずんでいる。「太陽の下」にはいない。スタンドバイミーのような夏が終わり、時間の変化と迷いの中にいる自分を照らす、不完全な三日月。

光を求めて 闇も捨てきれなくて

僕は灰色の空を眺めている

レミオロメンが初期のような路線を捨てて良いのか、多くの人の共感を選ぶべきなのか。

蝋燭の灯かり頼って 心を旅してるんだよ

そこで見つけてしまった たとえそれが醜さであれ

体温を抱いて呼吸続くよ

模索する中で見つけたものを信じて進むしかない。

体からただ あの夢が褪せてくのを見ていた
僕は君に会いたくて 風のまどろみの中飛び込んで震えているよ

デビュー時のように夢を追い続けることはできないと分かっている。

戻れないかな 戻れないよな
届かないよな それが時なら

時間の流れを受け入れるしかない。なるようにしかならない。

遠い記憶の太陽が僕の心に入り込むことはなくて
瞳を閉じて 時は止まらず 人は変われない

記憶の太陽=過去の情熱?が今の自分の心を突き動かすことはない。強烈な諦観。

彼方から三日月の明かりに照らされた道
僕は何処へ行けばいい 外は冷たい風 星空が揺れているよ
答えを待ち 居場所なくし 汚れてしまった
僕の純粋のような 欠けた月の明かりで 君の影探しているよ
戻れない 時の波泳いでいるよ

太陽という情熱を反射して輝くはずの月も純粋さを失い、三日月になった。朝が来ることはなく、半端な月明かりの下で、時の流れの中をもがいていく。

藤巻氏が6分間にわたり海で溺れ続けるひたすら苦しそうなPVも印象的です。*3

 

月食】2012年。藤巻亮太2ndシングル。1stアルバム「オオカミ青年」収録。

紆余曲折を経て、ルーチンワークとか、レミオロメンではできない表現を求めて藤巻氏はソロの道を選びました。

そして生まれたのがこの「月食」。藤巻氏の世界観がこれでもかと、超ストレートに描かれています。

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アイランドが「海から欠けた月を見上げる苦しさ」だったのに対して、この曲は「自分が月面にいて月食を体験したら、究極の孤独を味わうんじゃないか」という視点に立っています。

 

月食は地球の影で月が欠ける現象。

普通の人が月食について歌おうと思ったら、欠けていく月を地球から見上げる歌を書くでしょうが、今回の藤巻氏は月の満ち欠けを論じるのではなく、月側から地球を見るとどうなるんだろうという歌を作った。孤独を突き詰めた結果、月にたどり着いてしまった。

 

月面には自分以外誰もいない。自分と太陽の間にみんなが住む地球=外界が入り込むせいで、自分の輝きの源だったはずの太陽の光が完全に失われてしまう。世界が光を浴びるほど、自分の空間はどんどん暗くなっていく。そして孤独の中で「太陽はどこだ」と何度も叫ぶ。

 

ずっと描いてきた「月」シリーズの集大成であり、他者への共感を一切廃した強烈な楽曲です。

 

 一番おいしい後半が公式だと聞けないので…。この動画の2曲目です。

地球の影 月食

奇跡だね 月食

綺麗だね 月食

月の影 月食

太陽はどこだ

*1:「白い月」に関しては、そのまんまのタイトルの未発表曲もあります。

*2:このアイランドに限らず、新旧の楽曲のバランス、アレンジの多用さ、バンドの演奏と藤巻氏の歌の安定感、どれをとっても抜群で、「ストリングスライブなんて…」と食わず嫌いせず、初期ファンも含めてぜひ多くの人に聞いて欲しかったなあと感じたライブでした。お勧めです。

*3:あの映像、なんとなくNo SuprisesのPVを連想するのは自分だけしょうか。

【レミオロメン】パラダイム 過渡期の強引さ

 

レミオロメンは、特に「朝顔」~「HORIZON」辺りが私が音楽を聞くようになった時期と被っており、大変思い入れの深いバンドです。

当時はアジカンバンプACIDMANと並んで新時代の邦ロックの幕開けだ!と期待されていましたね。

 

そんなレミオロメンから、不遇の扱いを受けてしまった名曲「パラダイム」を紹介します。

 

パラダイム

レミオロメンは初期は良かった、でも小林武史氏のオーバープロデュースによって「壊されたんだ」、という言説がよく見られます。

 

実際の所、当時のインタビューを読む限りは、「メンバー3人の意見の相違」とか「何かと発言がふらふらしがちなボーカル藤巻亮太」とか、メンバー側に「セールスを保ちながら自己表現を続けていくだけのタフさ」が不足していたことが、機能不全に陥った最大の原因なんだろうなと私は思っています。武史は悪くない!と。

 

耳に残るポップさとバンドサウンドが不思議と両立してしまうのがレミオロメン最大の魅力です。小林氏がその「ポップ性」をうまく抜き出し、アレンジで磨きを掛けた粉雪は、超一級のヒットソングになりました。ここまでは良かった。

 

ところが、粉雪以降どこに進みたいのか、どんな音をどんな人に鳴らしたいのか。突然試聴層が広がった影響からか、3人の思いがはっきり見えないままの状態が続きます。

「多くの人に届く歌」という命題と3人の音だけで作り込んできたという元々のバンドの性質が見事に喧嘩して、何を歌えばいいのか分からなくなる。

 

小林氏もどうしたもんかと頭を悩ませていたんじゃないかなと想像します。

小林氏と時に戦い、時に救われてきた桜井さんや、「一緒にいると危ない」とバンドから切り離した桑田佳祐氏とは違い、小林氏とレミオロメンの距離感は何ともルーズなものになってしまっていた印象があります。*1

  

粉雪や太陽の下などヒット曲を詰め込んだ2006年のアルバム「HORIZON」で、レミオロメンは小林氏とがっちりタッグを組んで行けるところまで突っ走りました。

 

同年11月発売のライブ盤「Flash and Gleam」には、新曲「アイランド」を収録。「HORIZON」の裏返しとして、売れて音楽性が変わったことで離れていったファンへの思いや、確実に変わっていってしまう自分への絶望、それでも消えない音楽への情熱を、過剰なストリングスアレンジで描きました。

 

アイランドについてはこちらもご参照下さい。

olsen-revue.hatenablog.com

 

  「Flash and Gleam」から文字通り一冬の潜伏を経て3月に発表された再出発の楽曲。大変重要なタイミングで世に出たのがこのパラダイムなのです。

 

ただ、キットカットのおまけという特殊な売り方+限定50万枚+ベスト盤に入らず、その後も音源化されなかったという条件ゆえ、シングル扱いながら非常に知名度の低い作品です。


パラダイム 

イントロから掻き鳴らされるギター。よう分からんドラム。そこで動くんかというベース。明らかに合っていない不自然なピコピコ音。

Aメロの全く予想の付かないメロディ展開からBメロで一息ついて、サビで爆発…しきらないもどかしさ。

初期らしい素朴な音と、小林氏によるやや強引な「シングルっぽい」アレンジ。このアンバランスな抜けの良さが「新たな季節の訪れへの期待」という歌詞のテーマともマッチしていて、この頃のレミオロメンの過渡期っぷりが良い意味で凝縮された名曲だと思います。

 

冬の中で落としてしまった 心の鍵

やっと見つけたら 鍵穴の方が 変わっていたのさ

何を見ている? ふるいパラダイム 

冬の中=粉雪のヒット、アイランドの孤独。そこから抜け出す鍵を探していたけれど、自分自身がその環境に合わせて変化していた。

無常 コートも過去の哲学のよう

体に馴染んだ頃には 一つ季節が終わる

冬の厳しさから身を守るために殻に閉じこもった季節が終わろうとしている。

真っ白な雪が行き場を無くした

人の思い出のように 高く積もった

まるで綺麗な嘘みたいだから

そこに何があったか 忘れてしまった

粉雪が降りしきる、売れることで自分を取り巻く世界が変わっていく。その様子は嘘みたいで、自分自身が何者なのか見失ってしまった。

冬の中で話題に上った 暗いニュース

命の叫び 頭の向こうへ 抜けていったのさ

麻痺してれば そこはパラダイス

無情 デジタル化され 尚早いぞ

過激で刺激な方から どんどん召し上がれ

ここは小林氏と共にヒット街道を突っ走ったHORIZON期のことを指している…気がします。 

主役が変わりドラマ続くのさ

エキストラにもなれない かもしれないけど

自分が主役で居続けることはできないかもしれない。

信じることで生きていけるから

疑うことでそれを 証明するのさ

それでも信じることで生きていける。基本ずっと外界の変化に対して受け身だった歌詞が、ここに来てストレートに前向きな思いに。ここがこの曲の根幹なんでしょう。

ただ、その大事なメッセージも「反芻することで証明するよ」という捻くれが藤巻流だなと思います。

ねえ 不平等に時は流れるよ 

春を待つ時も 冬が来る時も

だけどドア叩く音を聞いていて

アイランドで歌っていた時の流れへの絶望。でも、どんなに絶望したって外界から自分に対するのアプローチは社会に生きる以上は止まらないし、自分の変化は続くもんなんだ、と心境が一歩進む。

真っ白な雪が そこから吹き込んで

人の心の中へ高く積もった

心のドアを開け放ち、1番で拒絶していた雪を受け入れる。結局、鍵の有無はどうでも良くて、雪をどう受容するかは自分の気の持ちよう次第なんだ、とも取れる。

信じることで生きていけるから

疑うことでそれを 証明するのさ

そこに何があったか 忘れはしないよ

残っているから

粉雪のヒットで消えてしまうと思い込んでいた自分らしさは消えることはない、と結論づける。

 

このパラダイムの直後に10thシングル「茜空」を発表。バンドっぽさはもう良いのかな、完全に吹っ切れたのかなと思ったら11th「蛍/RUN」を出したり、全くアルバム製作が進まなくなったりと、迷走期へとレミオロメンは入っていきます。*2

*1:一念発起でセルフプロデュースに挑んだ「花鳥風月」では、原点回帰的な素朴な香りは漂わせつつも、純化されたJポップ感・毒っ気のなさに幅広いリスナーへの目配せ感や無難な雰囲気を感じて、「やっぱり変わっちゃったんだな」と過去作との対比で再認識させられるという、何とも悲しい感覚も味わいました。

*2:その結論として「もっと遠くへ」が作れたのはかろうじての収穫だった思います。

【Foo Fighters】ヒーローのいない時代の音楽 Concrete and Goldレビュー

 

 ※今アルバムラストの「オチ」、映画「ファイトクラブ」のオチに言及しています。 

 

Foo Fighters - "Concrete and Gold"

 【総論①】 作り込んだごった煮

2017年9月15日発表。できたてほやほや。Foo Fighters9枚目のアルバム。

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デビュー以来常に進化を続けてきた彼ら。7th「Wasting Light」はガレージで録音、〝本来の〟ロックを追求したかと思えば、8th「Sonic Highways」では全米の音楽の歴史とフーファイサウンドを融合させつつドキュメンタリーまで同時進行で撮ってしまった。

 

ある意味「企画物」だった過去2作に対して、今作は「普通に録音するのも久しぶり」という発想から、スタジオで作り込んでいる。今のフーファイの「普通な」アルバム、果たしてどんな音が鳴っているのか、純粋に楽しみでした。

 

完成に至る経緯は公式動画に詳しいです。

Foo Fighters - The Making of Concrete and Gold - YouTube

The Bird and the Bee*1のグレッグ・カースティンに惚れ込んで彼にプロデュースを頼み、これまでにないラウドな音作りに成功した。古今東西数多のアーティストが利用してきたハリウッドの有名スタジオEastwest Studiosで録音し、デイブの顔の広さも生かしてスタジオを訪れた色んなスターが参加している。

 

バードアンドザビー的なポップな仕上がりになっているのかと思いきや、全然そんなことはなく、フーファイのバンドサウンドを時にヘビーに、時にサイケにアレンジして見せている。従来のストレートな音作りからすると新しい、あえて言えば分かりにくい。

 

本人達の表現で言うと「スレイヤーがPet Soundsを作ったら」「モーターヘッドがサージェントペパーズを作ったら」。ごりごりでスマート、ど直球でひねくれている、ごった煮感あふれた作品になっています。

 

本編ラストの「Concrete and Gold」は目指せピンクフロイドだったそう。彼らが続けてきた「ロックの温故知新」な姿勢の新境地という評価はできると思います。

 

従って、昔のような「アップテンポに流れるようなボーカル・美メロ、ポストロックの申し子」な(Monkey Wrench的な)フーファイを期待すると大いに肩すかしを食らう。ロック的な不安定さ、不確実さ、未完成さではなく、しっかり作り込んでおり、スロウな曲も多い。

 

歌詞に目を向けると、これはデイブ自身も語っていることですが、明らかにトランプ政権への不安、アメリカ社会への不安を歌っている。分かりやすく政治的な曲もある。

 

こうして見るとフーファイもいよいよ成熟路線か、丸くなって来たか、なんて感じそうですが、デイブらしい「90年代感」はばっちり入っています。そういう意味で、サウンド面の変化はありつつも、フーファイらしさが強く出た作品だと思います。

 

【補論①】私の思うフーファイらしさ

「90年代感」。90年代オルタナティブロックの代表格とされる彼ら。

オルタナとはなんぞや、という議論をし出すと長くなりますが、私流に90年代の文化を大雑把にまとめるなら、それはやはりポストモダンの時代なんだと思います。

 

冷戦が終わって、大きな物語が終わった。CDが普及して、個人消費が進んだ。みんなが一つの想いを共有しなくなった代わりに2次創作が増えた。そして何より、かつてのような「時代を背負うスター」が生まれなくなった。

 

名盤とされる音楽は昔にしか存在せず、ロックは80年代の商業主義に飲み込まれていて、黄金時代なんてとうに終わっている。そうしたメインストリームへの反動から生まれたパンクに色んなジャンルをくっつけて生まれたのがオルタナ。ある意味過去の栄光の残りかすを適当に食べながら、そんな時代を、自分自身を皮肉ったり自嘲したりするのが90年代なんだと思います。

 

カート・コバーンという「スター」の喪失から生まれたフーファイターズ=デイブ・グロールは、まさに90年代的な「自嘲と相対化」を内在化しながら活動してきたアーティストです。常にニルヴァーナの陰を背負いながら、自分がどう見られているかを理解しながら、それでも自分らしい表現を選んできた。

 

そうやって目の前の活動を一つ一つ積み重ねるうちに、いつしかフーファイはオルタナ=非メインストリームから、アメリカンロックの大家へと立場を変え、スタジアムの観衆を相手にするようになってきました。ニルヴァーナ時代を知らないファンも増えてきた。

 

自身を取り巻くシーンが変化する中、Wasting Lightでデイブは、彼の90年代性の集大成として「過去を顧みながらも前を向く決意」を歌って見せました。

 

その先に目指すのは、ヒーローなき相対化の世界、ポストモダンの時代でいかに「ロックスター」らしくいるか。過去の遺産を時に吸収し、時に乗り越え、今の時代に響く音楽を求め続けること。

 

Wasiting Lightで一種のみそぎを済ませたデイブは、Sonic Highwaysからそうしたモードを本格化させているんだと考えています。そのスタート地点として、アメリカの音楽の歴史を掘り下げる所から始めるのは姿勢としてすごく正しいと感じました。*2

 

【補論②】Sonic Highwaysへの不満

ただ、私には前作はちょっと物足りなかった。要は「音楽的に真面目すぎないか」ということです。

 

換言すると、本当にフーファイはオルタナではなくなってしまったのか。王道であることを受け入れたフーファイはもはやフーファイではないんじゃないか。こんな疑問が沸いてくるのを止められなかったのです。

 

厳しい見方をすれば、前作は90年代らしい自嘲や自分を相対化してみせるユーモアを欠いていた。音楽的には格好いいけれど、バンドの方向性に不安を感じたわけです。

 

【総論②】非主流のスター像

結論から言うと今作「Concrete and Gold」は、私が前作に感じたそうした物足りなさに対し、ばっちりとした回答をくれた作品でした。ロックが社会の中心になり得ない今の時代に、非常にフーファイらしいロックスター像を提示していると思います。

 

今作にはメインストリームではないロックの叫びが詰まっている。政治的な歌詞と同時に、自分自身はどうしようもない存在だという視点、そして「結局は現実を見ないといけない」という自戒の念も込められている。

 

インタビューによると、デイブはSonic Highwaysのライブ中に骨折して「玉座」(車いす)に頼りながらライブを続けましたが、やはりツアーを終えた後は心身ともにぼろぼろになってしまったそうです。

怪我を癒すために家に引きこもり、テレビを付けるとそこには泥沼の大統領選が。怪我のブランクで薄れた創作の勘を取り戻すのに苦労しつつ、酒の力も借りながら独り部屋の中であーだこーだと叫びながら今作の原型はできあがっていったそう。完璧な中のもろさとか、デイブの当時の不安定性が素直に歌になっている。

 

そういう意味で今作はSonic Highwaysから一歩進んで、一方でスターとしての完璧さを目指しつつも、もう一方でルーツであるオルタナ性が戻ってきたように感じるのです。

 

そこがファンとして嬉しいし、フーファイが「世界的なスター」と「オルタナティブロックバンド」という両面から「健全に」進歩し始めた、新たなステージに入ったんじゃないかと感じます。

 

非常に象徴的なのがシングル「The Sky is A Neighborhood」のMV。

 

  

2人の子どもが小屋に捕らわれている。空に輝く無数の星は文字通り過去に消えていったスター。小屋と空の中間で、自らも星の様に輝きながら歌い、子どもを解放するフーファイの面々。

 

MVは最後に夜空から光が射し、デイブに注ぐところで終わります。彼らのいた空間もまた一つの小屋だったというオチです。Sonic Highwaysの「納得感」「終わった感」ではなく、「未完成」という90年代性がユーモアと共に戻ってきたのを感じます。

 

最近ライブでRick Atstleyの80年代キラキラポップ「Never Gonna Give You Up」をSmells like teen spiritパロディのアレンジで演奏しているのも、「90年代的な適当感」という、同じ流れとして捉えられると思います。

 

【各曲レビュー】引用和訳はアルバム付属のもの。引用外の訳は自己流です。

T-Shirt

静かな個人的つぶやきが音楽的装飾で一気に飛躍、スケール感が増した後、また個人の視点に帰るという3部構成。音作り的にも歌詞のテーマ的にも今作らしさが凝縮された曲です。最初のぶっ飛びポイント、初聴時はクイーンかと思いました。

I don't wanna be king
I just wanna sing a love song

There's one thing that I have learned
If it gets much better, it's going to get worse
And you get what you deserve

後半の歌詞はオバマにまでデイブ自身がインタビューした幸せなSonic Highwaysからの落差を歌っている気もします。批判しつつも、こんな社会になったのは自分自身のせいだと小さく歌う。

 

Run

先行シングル。リフもののロックをずっと作ってきたデイブと、グレッグ・カースティンの「音響」(と言えばいいのでしょうか…)が組み合わさって生まれた新境地。ライブ映えすること間違いなし。

The rats are on parade

Another mad charade

What you gonna do?

ネズミどもは総出でまたしてもクレイジーな芝居を打ってる

さあ どうする?

どう見ても選挙だよなあ、という感じ。 

You can stay asleep If you wanted to

They say that's nothings free

You can run with me If you wanted to 

おまえは寝てたきゃずっと寝てればいいさ

タダで手に入るものなんて何もないと言うけれど

お前がその気なら 一緒に逃げることだってできるんだぜ

We are the nation's stakes

If everything's erased

What you gonna' do?

I need some room to breathe

You can run with me

If you wanted to

国家の杭=国民?息する余裕もない、というのはアメリカ社会の雰囲気か。

Before the time runs out

There's somewhere to run

Runという言葉に自分の社会に対する逼迫した危機感が出ていると思う、とデイブ。全体の歌詞には政治的なメッセージだけでなく、「限られた命を生きる」というデイブの人生観も込められていると思います。

 

Make it right

シンプルなギターロックです。①~②で革命を呼び掛けるかのごとく世界観がぐわーっと広がったのに対して、この曲は歌い手自身に鋭い目線を向けるアクセント的な役割を果たしています。

I don't fuckin' need, I don't fuckin' need
I don't need a martyr
Who's it gonna be? Who's it gonna be?
Gonna be another

殉教者なんていらない。次は誰だ?混乱の社会の中で出口を求める。

 How you gonna make it right?

「お前、本当にやれるのか?」って感じに聞こえます。

ジャスティン・ティンバーレイクがコーラス参加していますがクレジットされていません。紹介動画でもそうですがネタにされてる感。

 

The Sky is A Neighborhood

子どもの頃から夜空を見るのが好きだったというデイブ。全ての物質は宇宙の星や塵と同質である。「人間は宇宙の一部であり、宇宙は人間の一部、と考えると感動する」とインタビューより。

重々しいドラム、足音を打ち鳴らすようなサウンドがRunとは真逆の「静的な衝動」を連想させます。そこからサビに入るとコーラスが重なって宇宙と繋がる感じ。で最後にはまた自分一人の世界に帰ってくる。1曲の中の緩急の付け方が面白い。

The sky is a neighborhood

自分と変わらない宇宙、とも解釈できるし、自分が死に近づいていることの暗喩とも取れる。

Heaven is a big bang now

Gotta get to sleep somehow

Bangin' on the ceiling

Bangin' on the ceiling

Keep it down

混乱の象徴としてのビッグバン。

Mind is a battlefield

All hope is gone

Trouble to the right and left

Whose side you're on?

全てが一つのはずの世界に対して心が戦場になっている。個人の認識の違いが世界を混乱させている、という意味でしょうか。右と左、どちらに付くか。

 

La Dee Da

昔ながらのフーファイロック。

Turn up the American ruse

Psychic Television and Death in June

Jim Jones painting in a blue bedroom

Whitehouse、Death in June、 Physic TV。非常に実験的だったり暴力的、政治的だったりしたロックバンドの名前が列挙されている。American Ruseは同系統のMC5というバンドの曲名。さらにはカルト宗教の教祖であるジム・ジョーンズの名も。昔のインタビューでデイブは「ティーンの頃ジム・ジョーンズに陶酔していて絵を描いて飾っていた」と話しているのでそのまんまかと。

 Keep your pretty promise to yourself

あんたの可愛い約束事は胸に秘めておくといい

時代のメインストリームにいなかった「アンチヒーロー」に憧れた若い自分を、今になって受け止めようとしているように見える。 

 

Dirty Water

曲展開があっちにこっちに。ぬるっと始まって、次第に激しくなる濁流に飲まれる感じがします。ハリケーンの甚大な被害に対応しない政府批判、という解釈もあるそう。

I've been drinking dirty water
But I've been here before, after all

結局泥水を飲むような状況になっているのも現状肯定してきた自分のせい、というニュアンス?

I feel an earthquake coming on
I feel the metal in my bones
I'm a natural disaster
And you're the morning after all my storms

「自分は悲しみをまき散らす存在だ」と歌っているように聞こえる。

 

Arrows

冒頭から色んな音が繊細に鳴っていて、フーファイでは今まで聞いた事のない感じ。⑥から続く自分の内なる悲しさを解き放つよう訴える。

Arrows in her eye

Tears in her ateries

War in her mind

Shame as she cries

Fire away

瞳には矢 動脈には涙 頭には戦闘

泣くなんて情けないと思いつつ

攻撃を始めろ

I want a new life
Forming inside of me

自分の内なる悲しみから新たな可能性を生み出したい。

 

Happy Ever After(Zero Hour)

小休止。戦うように煽りまくった⑦から日常に帰ってくる。美メロでアコースティックでビートルズ感たっぷりの曲ですが、内容的には「ビートルズなんていない」と歌っています。

The sun went down on
Another perfect day
Busy counting shadows on the wall
The weeds are swallowing up
The flower bed
Roses in the whiskey jar
Blood on the thorns
Drink until the taste is gone

写実的な心情描写。誰かにとっての完璧な日が終わる。雑草が花壇を飲み込んでいる。花繋がりでバラを刺してあるウィスキーのボトル。つらい日常の中で酒に溺れざるを得ない。

Where is your Shangri la now?
Where is your Shangri la now?
Counting down to zero hour
There ain't no superheroes now
There ain't no superheroes
They're underground
Happy ever after
Counting down to zero hour

シャングリラはどこに行ってしまったのか。今はスーパーヒーローなんていなくなってしまった。みんな地面の下でいつまでも幸せな様子。zero hourは自分の死を意味するんじゃないかと思います。

死を持ってしか幸福になり得ない人生についてループで歌い続け、フェードアウトしていく。

 

Sunday Rain

その絶望的なポップスを断ち切るのがポールマッカートニーのドラムというアイデアが面白い。テイラーがボーカルを務めています。

この曲も何となくビートルズっぽい。個人的に今回のアルバム曲の中では一番好きです。

Don't leave me drowning in your Sunday rain
It's right down the drain I go
Don't leave me drowning in your Sunday rain
It's always a shame, oh no

君の日曜日の雨に溺れかけた俺を置いていかないでくれ

俺はお流れになる運命さ

いつだってつらいよ

Are you a little afraid?
A little alone?
A little exhausted?
Do you give it away?
Do you let go?
Where do you find it?

しんどさの中のストレートな心情吐露。

 

The Line

うちひしがれながらも何とか気持ちを立て直し、みんなの前で歌おうとする。聞き慣れたフーファイのバンドサウンドで、分かりやすい応援ソング。インタビューによると「全てと常に戦っているような今の時代に向けた歌」だそう。

Foo Fighters - The Line (Audio) - YouTube

Yes or no?
What is truth
But a dirty black cloud coming out of the blue?
I was wrong
I was right
I'm a blood moon born in the dead of night

片っぽを裁けないよな、ということでしょう。The sky is a Neighborhoodの歌詞と繋がっている。

Break my bones
I don't care
All I ever wanted was a body to share
Heart's gone cold
Brush ran dry
Satellite searching for a sign of life

自分の怪我をネタにしている気も。自分の体を媒介に命について歌っていく。

The tears in your eyes
Someday will dry
We fight for our lives
'Cause everything's on the line
This time

その瞳に浮かぶ涙は いつの日か乾くだろう

俺たちは命がけで戦う だって今度こそ全てが危険にさらされているから

非常にストレートです。on the lineは危険だけでなく、「良くも悪くも人々は繋がって影響し合う」という意味なのかも、と思います。

 

Concrete and Gold

ブラックサバスとピンクフロイドがくっついたような曲、だそうです。 Boyz II Menのショーンが参加。

I have an engine made of gold
Something so beautiful
The world will never know
Our roots are stronger than you know
Up through the concrete we will grow

俺には黄金でできたエンジンがある

実に美しいものさ

世界が知ることは決してないだろうけど

その根は思っているよりずっと強くて

コンクリートを突き破って

伸びていくんだ

固いコンクリートの地面(重苦しい現実社会)に埋まったHappy Ever Afterに向かって根を張る、力強い金色のエンジン。俺はまだまだやれるぜ、と。
 
 
そしてアウトロの美しいギターの残響が消えていき、沈黙…
 
 
 
からのデイブの叫び声。
 
(Fuck you, Darrell)
 
ダレルとは、今回録音を担当したダレル・ソープのことです。*3
 
今回の音の立役者を罵って終わるわけです。耽美的で美しい余韻をあえてぶち壊す。
 
これは単なる照れ隠し以上にいくつかの狙いがあるのかなと思います。
 
まず、音楽から立ち上がって現実を見ろよ、と聞き手のケツを叩く狙い。曲だけ聴いて満足するなよと。Runのメッセージとの繋がり。
 
また、「そんな格好いい台詞で今の時代終われないよ」という気持ちもあるでしょう。さんざん「スーパーヒーローはいない」と歌ってきたのに、と。
 
 
このぶち壊し、ちゃぶ台返しエンディングを聴いて私は1999年の映画「ファイトクラブ」のラストを思い出しました。
 
あの映画では、本編最後にある映像がサブリミナルで入ります。これによって映画全体が相対化され、観客は2時間以上ずっと真面目でシリアスな話だと思っていたのに、実はある男が裏で映像を操っていた「ブラックコメディ」だったと分かる。
 
ファイトクラブでは「画一化した社会への破壊衝動」という90年代的なテーマを非常に丁寧に描いているがゆえ、「こんな倒錯した時代にこんな真面目なメッセージ出せるかよ」と、自己矛盾に陥らないようあえて最後に全体を破壊しているのです。
 
デイブの台詞にはこの仕掛けと同じ臭いを感じました。つまり、「答えなんて無い」ことを前提に「それでも頑張るぜ」という歌を何とか紡いだ果てに、その姿勢すらもネタにするわけです。何がゴールドエンジンだよと。現実を見ろよ、と。
 
ロックスターであろうとする自分自身を「所詮普通の男だからなあ」と揶揄するデイブらしいユーモアであり、この一言でConcrete and Goldは完成するのです。
 
【総評】

全体の印象としては、サウンドの拡大に挑戦し、手堅く、少しずつ表現の幅を広げてきたと思います。彼ららしいユーモアやアイデアも感じますし、メロディも前作より良かった。ビートルズを持ち出したり、歌詞や曲調の緩急にも工夫を感じました。

 

冒頭で書いたように重々しい曲調が多いので、1stや2ndの感じが好きな人にはお勧めできませんが、私としては「Wasting Light」から始まったフーファイ第2章がようやく軌道に乗り始めたのかな、と好意的に楽しめたアルバムでした。

 

*1:完全に余談ですが、デイブと全く同様にミスチルの桜井さんもThe Bird and the BeeのAgain & Againに影響されてyou make me happyという曲を作っています。

*2:1曲目Something from Nothingでfarewell to yesterdayとした上でI've found a riverと歌ってアメリカ旅行に出発し、最後にはI am a river, I am your riverと締めくくる。

*3:この人もレディへやらベックやらものすごい経歴の持ち主。

【Mr.Children】ミスチルの嘘っぽさの受容 SENSEレビュー

 

SENSEはその名の通り、「聞き手に感じ取って欲しい」というアルバムです。そのためミスチルはこれまで、今作に込めた思いについて、インタビューなどで全く語っていません。おそらく当時の取材依頼は全て断ったのでしょう。取材を受けるようになったREFLECTION以降も、今作に話題が及ぶと言葉を濁している。

 

そんなSENSEのコンセプトを明らかにしようとするのが今回の記事です。ある意味作品を台無しにするような試みですが、発売からだいぶ時間も経っているし良いかなと。

SUPERMARKET FANTASYとの対比が中心になるので、以前の投稿の(上)だけでも読んで頂くとより分かりやすいと思います)

 

 

olsen-revue.hatenablog.com

 

 

アルバムの基本姿勢・販売形式=概論と、楽曲の内容=各論に分けて見ていきます。

 

【概論】ツンデレSUPERMARKET FANTASY

①基本姿勢

まず、基本的な枠組みは前作「SUPERMARKET FANTASY」から続いているものだと私は見ています。

 

つまりミスチル側からの主張・説教臭さをなるべく抑え、聞き手に自由に音楽を消費してもらうこと」を志向しています

前作の「現実の見方を変えて一歩進もう」だとか、SENSEにも各論で触れるように各曲を貫くテーマ性はありますが、そこがきちんと伝わるかどうかは、あんまりミスチル側は気にしていない。分からなくても、楽しんでもらえればいいですよ、という気持ちが前提としてある。

 

②独特の販売手法

ただ、SUPERMARKET FANTASYと対照的なのが、販売に際してミスチル側から積極的な発信をしなかった点。

 

メディアに出ない、フラゲ前日まで告知しないゲリラ的な広報、シングルCDを収録しない…前作が徹底して「売りに来ていた」のとは真逆の販売戦略を取っています。

 

リスナーはただ単に音楽を消費するのではなく、もっと能動的にコミットして欲しい。例えばSENSE Projectはそうした狙いの宣伝だったんでしょう。*1

 

今の時代、ネットで調べれば専門家の評論とか、こういうファンの感想とか、何でも出てきてしまう。あるいは雑誌やテレビを見れば本人が「こういうつもりで作りました」と語っている。

 

そんな風な誰かの言葉じゃなく、自分自身で感じてほしい。そうした音楽の「消費形態」を作り出そうとしたのがSENSE(とその宣伝)だったんじゃないのかなと思います。

 

SUPERMARKET FANTASYから、一捻りを加えているとも言えますし、ニシエヒガシエから続く「歌っている人柄はどうでもいいから曲を評価してくれ」という「匿名性への憧れ」が結実したプロモーションだったとも言えます。

 

桜井さんは配信ではなくCDにこだわる理由について「CD屋に行って、買ってきて封を開けて…そんなワクワク感も音楽の一部」という話をよくしていましたが、そうした思いと「CD一枚に全てを詰め込む」今回の売り方にはリンクするものも感じます。

(事前に配信で販売していたfanfareの音質がCDで大幅に改善しているのも意図的なんじゃないかとすら勘ぐってしまう)

 

③まとめ

ニコニコ顔で近づいてきたSUPERMARKET FANTASYに対して、あえて閉じて黙り込んで、客を引き込もうとするのがSENSE。その実アルバムの蓋を開けてみれば、いつも通りの「主張のない」ポップスが並んでいる辺りが絶妙なツンデレ感だと思います。

 

音楽的なスタンスは前作を踏襲しつつ、発信の仕方やリスナーとの距離の置き方を実験する。前作と逆の手段を取りながら、目指すゴールは同じ。

 

SUPERMARKET FANTASYは「水上バス」や「東京」のように、日常目線で虚構性の高いポップスを描いたアルバムでしたが、SENSEは後述するように多くの曲が「ミスチルの過去」をベースにしている。

その分抽象度が上がり、分かりにくくなってはいますが、「何にも言わない中身空っぽのポップスでいたい」という姿勢は変わっていません。

 

むしろ楽曲の事前解説がなく、歌詞も具体的でなくなっている分、全ての収録曲について聞き手が自由に心境を投影できるシングル曲のような聴き方ができる。射程の広さという意味で、SENSEはSUPERMARKET FANTASY以上にポップなアルバムだとも言えます。

  

「深海を匂わせたり、不気味な宣伝だったわりに曲は2000年代のいつものミスチルじゃん」という感想をネットで見たことがありますが、まさにそれが作り手の狙いだったんじゃないかと思います。

(せっかく切れの良いミスチルらしいポップスが並んでいるのに、閉じた雰囲気や単純な宣伝不足のせいで多くの人の耳に届かなかったのが残念です)

 

【各論】虚像性の受容と昇華

特異な売り方やこのような「分からなくてもいいですよ」という前置きから離れて楽曲に目をやると、虚構の中の未知なる可能性を見いだそう外形に惑わされずに自分の五感を信じようという主張が一貫して歌われていることに気付きます。

何となく良いこと風なメッセージですが、なぜ今作でこうした思いに行き着いたのか。ミスチル側からの説明がほとんどないので、前後の作品の文脈から考えます。

 

①問題設定

 「Mr.ChildrenMr.Childrenを超えること」。SENSE発売時の公式コピーでした。

 

一聴すれば分かりますが、序盤の「I」「HOWL」「I'm talking about lovin'」に過去作への意識が感じられる一方、「365日」の打ち込みや「ロックンロールは生きている」「fanfare」の思い切ったアレンジはミスチルとしては新鮮。「擬態」「Prelude」「Forever」は王道ミスチルサウンド。新旧の振れ幅を狙って付けてきている感じがあります。この楽曲のごちゃ混ぜっぷりと、このコピーをどう捉えるか、という視点を念頭に検討していきます。

 

②所詮ミスチルなんて…という自嘲

ミスチルの過去の成功に関して、桜井さんは「自分の音楽は本来受けるべき以上の評価をされている。自分は恵まれすぎている」とインタビューで語ってきました。その罪悪感を解消し、自分が過剰に音楽で得てしまった利益を社会に還元するため、ap bankの活動をやっている部分もあると。

 

虚像が肥大化し、本来の自分から一人歩きしてしまう。世間から見た自分たちは「紛いもの、胡散臭いもの」であり、セールス的には一流でも、音楽的には一流ではない。そんな自己卑下に近い思いを抱えている。たぶん深海の頃からずっと。

 

次作[(an imitation)blood orange]においても、自分自身を「情熱を失った張りぼて」や「虚言癖のある怪しい奴」に喩えています。一昨年の対バンツアーで毎回ミスチルの1曲目がイミテーションの木だったのは、素晴らしいミュージシャンに対する謙遜だったんじゃないかと思っています。

 

③マイナスからプラスへ

でも、もしそんな虚構に満ちたミスチルの過去を「自分」として受け入れられたら、その歴史を武器に、今の時代に向けた希望が歌えるんじゃないか。

虚構を繰り返す中から真実が見いだせるのではないか。隠れていた感情を掘り起こせるのではないか。SENSEはこんな視点から聞き手に訴えかけてきます。

 

SENSEのジャケットではクジラが海から飛び出しています。

これは深海の頃のように、ミスチルの虚像性を拒絶したり、自嘲して内にこもったりするのではなく、そうした欺瞞も全部受け入れた上で新たな表現に昇華しようとしている象徴だと思います。それが「過去のミスチルを今のミスチルが超える」という意味だろうと。*2*3 

 

これまでのミスチルにとって、自分たちが重ねてきた虚像性はマイナスのものだったかもしれない。しかしSENSEでは、その虚像性を聞き手にとっての希望に置き換えようとしている。座標軸を、境界を越え、負のエネルギーを否定するどころか、一気にプラスにまで転換してしまう瞬間の爆発力・生命力が、このジャケットには描かれている。

元々のSENSEアリーナツアーのセットリストにはHallelujahが入っていたとのこと。「なぜHallelujahだったのか」を逆算することで、価値観の転換に潜む無限の可能性と向き合うSENSEの姿が見えてきます。  

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※ここで概論的な話の補足。

SUPERMARKET FANTASYが物理的なコール&レスポンスの空白を作って聞き手とのコミュニケーションを図るスタイルだったのに対し、SENSEはこのように本能的な歌の衝動を介して、聞き手との心の距離を直接縮めようとしてきます。

すごくライブ的だし、SUPERMARKET FANTASY以降ライブが楽しめるようになった桜井さんらしい作風。歌詞の「!」「?」「!?」の多用に桜井さんがライブで観客に呼び掛けている姿が浮かびます。(一方で、これはSENSEツアーのパンフレットで桜井さん自身が仄めかしていることですが、「。。。」や「…」には「根源的な本能」を余韻として言葉にしないSENSE的な姿勢が現れています)

告知しない販売手法も「自分が直接聞かないと分からない」わくわく感・ライブ感演出だったとも取れます。また発信者は不特定多数に向けているのに、聞き手はプライベートな距離感で聞ける点で、桜井さんも大好きだという「ラジオ的」コミュニケーションに近いとも思います。 

 

 

④SENSEの目指すもの

こうしたSENSEの精神がはっきり現れているのが、アルバムラストに並んだ「Prelude」と「Forever」です。

 

Preludeはご承知の通り、ミスチルの過去の曲名や歌詞が取り入れられた作品です。

こういう手法は昔からありますが、過去のフレーズをパズルのように単純に当て込んだところで、つぎはぎで中身のない、ファンが喜ぶだけの作品になりがちです。桜井さんはなぜ、こうしたファンサービス的な手法をベスト盤でもアニバーサリーでもない今作で選んだのか。

 

それは、引用される過去のフレーズがその時々のミスチルの虚像性の象徴として機能しており、そうした欺瞞をあえて並べ直して歌うことに意味があるはずだ、というSENSEのコンセプトと合致しているからです。意図的に過去に依拠した中身のない曲を作っている。(ひたすらに比喩表現を並べ、比喩することのエネルギーで希望を歌う「擬態」も全く同じ発想です)

そして

長いこと続いてた自分探しの旅もこの辺で終わりにしようか

明日こそ誰かに必要とされる自分を見つけたい

とするように、過去の歌詞を取り入れながらもその過去を乗り越え、新しい希望を歌おうとする。*4

サビに出てくる躯(むくろ)とは死体のこと。一度死んだミスチルという列車が、虚構(過去の楽曲)を動力に再び動き出す。過去の数々の楽曲は、これからのミスチルが、あなたの希望を歌うための前奏曲だったんだ、ということです。

 

加えて、そういう「他者のために空虚な曲を作り続けるミスチルって辛くないの?」という疑問にForeverは答えている。

ともすれば ともすれば
人は自分をどうにだって変えていけんだよ
そういえば そういえば
「君の好きな僕」を演じるのは
もう演技じゃないから

1番サビで甘いフレーズに酔ったことへの「後悔」を口にしていたのに対し、2番サビでは演じる辛さに悩んできた深海の二項対立から完全に抜けています。

 

過去への後悔と現状肯定の狭間、桜井さんの声にならない叫びが響く間奏の最後に聞こえてくるのは、観客の拍手喝采です。

そして

どうすれば どうすれば

君のいない景色を 当たり前と思えんだろう

もはやメンバー4人だけでなく、観客・ファンの人生とも同化し、虚像と実像の境界が完全に消えてしまった現状と、これからのミスチルが歌うべきこと、ミスチルが背負った使命に想いが至る。

Forever
そんな甘いフレーズをまだ信じていたいんだよ
そう言えば 今思えば
僕らの周りにいくつもの愛がいつもあったよ

陳腐な甘いフレーズや、サビのど頭でForeverと繰り返すような単純な曲であっても、自分は自分の音楽を信じ、歌い続けたい。

なぜならそうやってミスチルが「紛いものの音楽」を続ける中でも、気付かないうちに多くの人が喜び、繋がってきたという事実を噛みしめているから。(桜井さんがB-SIDEの反響から気付いたように)

 

結局こうして見ると、雰囲気は全く異にしながらも、歌っている内容はほとんどエソラと変わらないことが分かります。ミスチルはツアーの集大成的な曲をツアー後のシングルで切る傾向がある、と蘇生の時に書きましたが、Foreverはシングルではないものの、SUPERMARKET FANTASYという「祭りのあと」の心境を素直に形にした作品でしょう。

 

概論でも触れた通り今作は、虚構として描こうとする対象がHOMEやSUPERMARKET FANTASYが主戦場としてきた「具体的な日常」から「ミスチルの過去」に変わりました。これによって従来より抽象度が上がり、一見すると閉じた印象を聞き手に与える。なのに、結論として歌われているのは前作と同じ「あなたの希望」という開けた思い。この矛盾がSENSEを分かりにくくしている原因と思われます。

 

⑤結論

③、④の「自身の虚像性を肯定し、希望を歌う」という発想。

どうしてSENSEのミスチルはこんなにも前向きなのか。

 

実は、ミスチルがこの境地に辿り着いたのはSENSEよりも前のことでした。

 

ミスチルの過去を観客に預けてお祭り騒ぎをしてみせたHOME-in the field-と、その苦々しさや嘘っぽさを「えーい」と受け入れて「ロックスター」を演じたSUPERMARKET FANTASY(とそのライブ)。いずれの作品においても、「客に消費してもらう」とは、「ミスチルらしさ」といった分かりやすい物差しで音楽をトリミングし、客に咀嚼してもらうことであり、ミスチル側からすればそれは、「客が期待する虚像」を引き受けることを意味します。

 

この2作の成功(=消費の肯定)とSENSEは地続きにある。*5

 

一文でまとめるなら、

「SENSEはミスチルの虚像性を希望に変換するというHOME-in the field-とSUPERMARKET FANTASYのメンタリティを、過去曲を引用しながら描いた作品」です。

 

1曲目の「I」で形式(虚構)やエゴに埋もれ、外部に対して徹底的に閉じていた主人公は、嘘くさい過去や現在の心境を走馬灯のように振り返りつつ、どこかに隠れているはずの希望を求め続ける。そして最後には空虚な過去を受容し、他人の希望につなげようとする「Prelude」の心境にたどり着く。

 

Atomic heartまでの成功→深海~DISCOVERYで向き合った絶望→Qで手にした他者の肯定→B-SIDE~SUPERMARKET FANTASYで成し遂げたミスチルという存在への自己肯定。

SENSEはまさにミスチルの、桜井さんの音楽観の変遷が描かれたアルバムなのです。*6

 

*1:ネットでの口コミの拡散を狙うとか、先進的なマーケティングをやろうとした姿勢は見えるものの、セールス的には激落ちですし、世間向けには全然機能しなかったというのが正直な感想です。私の周りも「え、ミスチルアルバム出してたの?」という反応がほとんどでした。個人的には深夜の謎CMとか謎URLで散々騒いで楽しかったですが。

*2:またも深海からの脱出であり、こうしたアプローチはPOP SAURUS2001にも通じる部分があると思います。

*3:「過去の自分を今の自分が演じ直すことで新鮮味を探す」というコンセプトは、SENSEの前に作ったSplit the differenceも全く同じです。こっちの作品は今になってみると、SENSEに繋がる過程(収録曲やライブで演奏予定の過去曲、そしてアルバムの精神自体)をファン向けにちょい出ししていた、という評価もできます。

*4:この歌詞はSUPERMARKET FANTASYドームツアー本編ラストの終わりなき旅と直結しています。「声」の記事参照。

*5:この成功は[(an imitation) blood orange]までの一連の創作に大きな影響を与え、REFLECTIONでその潮流は一端断ち切られたと考えています。

*6:2010年のSENSE製作時点で、その次のアルバムがベスト盤になることは当然決まっていたはず。その前に過去の総決算に挑んでみたのかもしれません。

【John Mayer】 Paradise Valleyレビュー(下)


8~11曲目のアルバム後半戦は、7曲目「I will be found」で孤独の中に希望を見いだした彼の心境の変化がよりストレートに描かれます。

 

8曲目【Wildfire (feat. Frank Ocean)】

もう一回Wildfireの世界へ。曲のバックでは虫が鳴いていて屋外にいるよう。1分強と短い箸休め的な曲ですがParadise Valleyの中でも一番深い夜、という感じがします。

Only a nascent trying to harness huge fire
Out on the beach in the darkness starting bonfire
So gorgeous, a man might cry

巨大な火を操ろうとするのは愚かな者だけ

暗くなった浜辺でたき火が始まる

あまりに美しくて 大人も涙を流す

そもそもwildfireは山火事とか、自然発生的な大火のこと。そうした火ではなく、自ら付ける小さなたき火の美しさを歌っている。自然音が響き、ひたすら真っ暗な中で輝くたき火の美しさだけが正しい。

川岸じゃなくて浜辺なので、「I will be found」の孤独の海から上がってきた所なんでしょう。

Burning trees in the basement, start a cool fire
Feel my heartbeat racing, baby you're on fire
So gorgeous, a man might cry

地下室で木を燃やしきれいな火が上がる

ぼくの胸の高鳴りを聞いてみてほら君に火が移る

あまりに美しくて 大人も涙を流す

地下室は後述の「Badge and Gun」でも出てきます。そこでの使われ方から想像するに、他者を拒絶した心的空間の象徴なのかなあと思います。視覚的なイメージとしても、暗い地下室の火=胸の高鳴りは繋がっている気もします。閉ざされた中でも心の火の美しさを忘れてはいけないということでしょう。

treeって立ち木だから意外と広い空間なんだよなあ…という点は謎です。

「浜辺だろうと地下室だろうと、火の美しさは変わらない。本質を外さなければ、自分がいる場所は関係ないんだ」と捉えると、「on the way home」の歌詞に繋がっていきます。

Back in Paris you told me you were suicidal
It's not a vacation if I lose you to the Eiffel
You're gorgeous but you can't fly

パリで君はもう死にたいと言っていた

バカンスどころじゃない もし君をエッフェル塔で失ったら

君は美しいけど空を飛ぶことはできない

今度はパリ。パラダイスバレーとは対照的な街の象徴でしょうか。街での過去のつらい思いと、現在の開放感が対比されている。

A hidden admirer sent me roses white as fire
We took our handfuls it was war, flower fighter

密かに僕に熱を上げている人から 燃えるような白いバラが届いた

僕と君は一握りずつ花をちぎって戦争を始めた 花を持った戦士たち

ここが今アルバムで一番分かりづらい…。

白いバラで戦争というと、第2次大戦中のドイツの反戦運動があります。学生の反ナチ活動の象徴だったけれど、弾圧され、みんな処刑されてしまった。

とりあえず時制が過去なので「...it was war」までの描写は、当時のドイツ社会のように、他者の善意を踏みにじってしまった過去の自分の愚かさで良いかと。

 

で、最後の「flower fighter」が何を指しているのかが読めない。思いついた解釈3つ。

①和訳通りに読んで、愚かな「We」=花の戦士。過去の滑稽な自分への嘲り。原文は複数形じゃないので、個人的には疑問(概念的に捉えているから数えていない、とも考えられますが)。

②1行目のA hidden admirer=花の戦士。善意のファンに対し「ここ最近は気持ちを踏みにじってきてしまって申し訳ない」と呼び掛けている。

ベトナム反戦運動のフラワーチャイルド(銃ではなく花を)=花の戦士。彼ら、あるいは白いバラ運動の学生や、善意のファンのように無償の愛を与えられる存在になりたい。白いバラ運動とフラワーチャイルドは非暴力主義という点で一致している。この頃のジョンメイヤー、ピースマーク付けてたし。ただ、「Badge and Gun」で自分は銃を持って戦う運命だと歌っているので、そことの整合性が微妙か。 

 

個人的には②だといいなあ、なんて。

とにかく、他の曲とは歌詞の抽象度が段違いで、視点の置き方が全く異なる。だからこそ、この曲のボーカルを自分ではなくフランク・オーシャンに任せたのだと思います。

しかしまあ、フランク・オーシャン良い声してます。

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【John Mayer】 6thアルバム Paradise Valleyレビュー(上)

 

「夏の終わりに季節感がぴったり」ということで、John Mayerの6枚目のアルバム「Paradise Valley」を2回に分けて紹介します。

 

【以下、私的な簡単なジョンメイヤー紹介】

1977年生まれの39歳。アメリカのコネチカット生まれ、コネチカット育ち。

ブルース、フォーク、ソウルやカントリーなどなどアメリカ土着の音楽をきちんと受け継いだ上で、そうした文脈を今っぽく、東海岸な香りを漂わせたアーバンなギターで表現できる人。スモーキーな歌声でルックスも良くて、ギターの腕前はクラプトンも認めるほどで、普通にポップな売れ線曲もかけてしまう。当然モテる。

 

超ざっくり作品遍歴紹介。

01年、1stアルバム「Room For Squares」
03年、2nd「Heavier Things」
06年、3rd「Continuum」

ごりごりのブルースやギターポップを頑張る時代。

09年、4th「Battle Studies」

過渡期。ブルース色が一気に後退してちょっぴりフォーキーな香り。ギターあんまり弾かなくなってくる。

12年、5th「Born and Raised」

突然カントリーに。リリース前に喉の肉芽腫で手術、パラダイスバレーでの静養へ。

13年、6th「Paradise Valley」

17年、7th「The Search for Everything」

 

【Paradise Valley】

カントリーへの耽溺と喪失感から抜け出し、夏の魔法が解けた世界を踏みしめる

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全体のトーンとしては前作「Born and Raised」のカントリー色を残しつつも、ソウルとかゴスペルとか黒人音楽っぽさもあり。前作よりちょっとおとなしめ。

前作の「そんな無理して突き抜けんでも」感からすると、もともとのジョンメイヤーの湿っぽさも加わって、より彼らしいバランスの音になってきたのかなと。相変わらずエレキギターはあんまり弾いていないですし、やっぱり初期作から比べて「地味」とか「つまらん」という評価もよく耳にしますが、少し脱力できている感じが個人的には好きな作品です。

  

2010年のプレイボーイ紙での差別的な発言やら、テイラースウィフトとのゴタゴタやら、ゴシップスター的な側面が取りざたされて、加えてアーティスト生命に関わるほどの声の不調。10~13年が彼にとってかなり辛い時期だったのは容易に想像できます(Born and Raisedのメロディは狭くなった音域に曲を合わせざるを得なかった結果だ、との説もあるそう)。

 

パラダイスバレーは、喉の手術でBorn and Raisedのツアーを全部キャンセルした後、静養のため滞在していたモンタナ州の田舎町の名称です。

 

歌詞には、過去のくたびれ感から一歩踏み出して歩き始めよう、といった文言が並んでいます。パラダイスバレーの大自然に囲まれて、前作以上に地に足付けてフォークやカントリーに向き合えたのかなあ、と思います。

 

全曲レビューはしんどいので、かいつまんで紹介します。

 

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大森靖子=ロッキー・バルボア説 音楽を捨てよ、そして音楽へ

 

個人的にもう、マックスの褒め言葉です。大森靖子はロッキーだ。

 

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彼女の音楽性とか今っぽいスター性についてはまた別の機会に書きます。今回は彼女の音楽への向き合い方がカッケーという話です。

 

andymoriの「クラブナイト」も、ミスチルの「声」も、音楽の「魔法」に酔おうとする曲でした。共通するのは「クラブナイト」の出発点が冷たい部屋であり、「声」には街の雑音が流れていたこと。

 

どんなに陶酔したって、曲が終わればどうしようもない日常が、現実が待っているわけです。魔法が解けた瞬間のギャップはどこまでも残酷。良い大人が何が魔法だよ、という。

 

アイドルソングを、JーPOPを浴びるように聴いてきたであろう大森さんも、こうしたポップミュージックの裏側にあるしんどさにすごく自覚的なんだと思います。

 

じゃあ残酷なポップスを、なぜわざわざ歌わなくちゃいけないのか。そういう歌です。

 

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