Revueの日記

Revueの日記

歌詞の解釈やライブレビューなど、好きな音楽の話を主に書いていきます。Mr.Childrenが中心になると思います。

【Mr.Children】B-SIDEとHOME -in the field- SUPERMARKET FANTASY考(中)~ひびき

 

続きです。

 

(上)では、Mr.ChildrenSUPERMARKET FANTASYで「客か自分か」という二項対立を抜け出して、消費を肯定できるようになったと書きました。

 

ではなぜそれが可能になったのか。それを辿るには、HOME発売以降の流れを追う必要があると考えます。

 

 

 

【HOMEとSUPERMARKET FANTASYの間】

 メッセージ < 空間

 

そもそも、SUPERMARKET FANTASYが志向する「ポップスの奇跡」とは何か。色んな捉え方があるけれども、ミスチル流に言えば、卑近な表現ですが「世代を超えて人同士が音楽でつながること」なんだと思います。この可能性を信じて、追及するようになったと。

 

源流は恐らく、ap bank fesにあるのでしょう。2005年にスキマ大橋→浜田省吾→桜井の流れで、HEROで珍しく泣いてしまった。ああいう流れ。

 

人が、家族が繋がっていくという「彩り」的テーマの体現として、いわば「お説教」としてHOMEツアーでは「to U」の合唱が行われました。この時の「歌わせた」狙いはあくまでHOMEの世界観の再現にあって、SUPERMARKET FANTASY的な「お好きに楽しんで」モードではなかったと思います。

 

ただ、意図はともかく、ミスチルが初めて「歌わせる演出」を導入したライブだったし、バックステージ席を設けるなど、より近くでミスチルを感じて欲しい、という精神がストレートになってきています。自分の手で最後のピースを埋めて欲しい、というメッセージは、まさしくSUPERMARKET FANTASYの基盤です。(恐らくこうした変化は、小林P本人がライブに入ってSUNNY・浦さん・河口さんというお馴染みのサポートを廃し、従来よりもさらにダイナミックなライブへ転換を図ったのとも関係していると思います)

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 デビュー15周年にあたる2007年5月10日、HOMEツアーの真っ最中にB面集「B-SIDE」が発売されました。このアルバムの反響は大きく、桜井さんは「自分の歌が世代を超えて愛されていると感じた」とインタビューで答えています。

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続いて始まったHOME in the fieldツアー。HOMEの名を冠しながらも、実際はHOMEの楽曲は少なく、それまでのミスチルではあり得ないような全力のヒットパレードでした。

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なぜこんな選曲になったのか。

 

答えは「このライブはB-SIDEのアルバムツアーでもあったから」だと思います。

 

言い換えると、世代を超えて愛されてきたミスチルという「空間=HOME」を再現する15周年祭です。これはミスチルが「歌ってきたこと」の再現を通して新たなメッセージを発しようとしたPOP SAURUS2001とは決定的に性質が異なります。

 

演者側からのメッセージは希薄で、「みんなが親しんできたミスチルという存在を描くこと」に主眼を置く。

中でもハイライトが、ほぼフルで観客に歌わせた「口笛」です。このシンプルなラブソングに対して、ミスチルは伴奏、曲は単なる入れ物と化し、何万もの観客がそれぞれに自分の想いを乗せ、バラバラなんだけども、曲を介して繋がっていく(to Uが「みんなで一つの答えに向かおうぜ!」という感じなのに対し、口笛はみんな勝手に、自然と泣いている印象)。

 

どうしてあの「口笛」が感動的なのか。それは、桜井さんが歌わない、ミスチルが完全にメッセージを聞き手に「預けた」瞬間であり、同時に15年間のミスチルの「ポップス」としての魅力(ライブ会場にいる観客がそれぞれミスチルを聞いて自分の人生を歩んできたこと)が詰まっていたからです。そういう消費もいいじゃないかと、そういう聞き手と演者の関係性をミスチルは深海以降初めて肯定し、演じてみせました。

 

ライブなんだから歌ってくれよ…という意見ももちろん正しいですが、あの口笛に関しては間違いなく従来のミスチルでは辿り着けなかったポップスの高みに到達していると思います。

 

故に次に演奏するsignで「ミスチル側から」とMCを挟んで「聞き手の思いを見逃さないように歌っていきたい」と伝えるのがまた意味があると。

 

HOMEのテーマを「観客も参加する」という新たなスタイルで表現しようとしたHOMEツアー。B-SIDEが改めて示したミスチルのポップスとしての懐の深さ。HOME in the fieldのヒットパレード、「口笛」の多幸感。SUPERMARKET FANTASYは突然変異ではなく、これらの積み重ねが一枚に結実した作品なのです。

 

【まとめ】

HOMEツアーで(恐らく小林武史氏による)従来のミスチルの硬直的なライブの解体と再構築が行われた。B-SIDE発売で15年間を「色んな人が好きに楽しんできたポップス」として総括する流れが生まれ、続くHOME in the fieldがその実践の場になった。

 

こう考えると、ベスト盤としてのB-SIDEが果たした役割って案外大きいんじゃないだろうか。HOME in the fieldでやったことはその後のミスチルのライブの在り方を一変させたんのではないだろうかと思うわけです。

 

 

【ひびき】

で、前置きが大変長くなりましたが、そういう文脈で見ると、B-SIDE発売に合わせて製作された「ひびき」のMVの納得感が増す、というのが本稿で言いたかった話になります。

 

初期を思わせるシンプルなアレンジで、内容は超ど直球なラブソング。「君が好き」をサビに頭に持ってくるのは既にやっているけど、しっくりきたものはしょうがない、「作者の自我とかミスチルの見せ方とかより無意識を優先したかった」と桜井さんのセルフライナーノートより。親から子への愛情がテーマになっています。

 

この曲のMVを監督した窪田崇さんは、一緒にB-SIDEの30秒CMも作っていて、ひびきのMVのストーリーはそこから続いています。CMでは、主人公の女性(豊田エリー)がkind of loveを含めたミスチルの過去アルバムをカバンに詰め込んで、今までの「家」から新たな出発をする場面が描かれています。

 

MVのストーリーと合わせて歌詞を見ていきます。

 

①春から新社会人になる主人公。引っ越し直後の散らかった部屋で、カバンからkind of loveを取り出す→ひびきが始まる。

 

 ②場面は高校時代へ。彼との出会い、幸せな思い出がフラッシュバック。

タンデムシートに座って歌っている君の声が
中越しに小さく響いてる
調子外れの下手くそな歌だけど
この声だ その響きだ 一番好きな音は

見つからなかった探し物は
ポケットに入ってました。と
幸せなんかおそらくそんな感じでしょ!?って
君の声は教えてくれる

MVの自転車シーンとタンデムシートがリンクしている。サビの歌詞は「Image」とも近いし、身近な愛をかみしめて、という幸せ観はHOMEそのものです。

 

③場面が現在に戻り、会社勤めが始まる。帰宅後一人の部屋でkind of loveを聞く。

去年の誕生日 クラッカーを鳴らして
破裂する喜びに酔いしれていたけど
外を歩いたら銃声が聞こえる
あの場所じゃ その音は
悲しげに響くだろうな

MVの「社会で生きる寂しさ」のイメージと同様に、歌詞は突然個人の幸せから世界規模の話に飛んで、自分の今を戦争と重ねる。

 

④再び過去に戻り、彼との別れ。kind of loveが手元に残る。

君が好きで 君が好きで
涙がこぼれるんだよ
血生臭いニュース ひとまず引出しにしまって
風のように 川のように 君と歩いていく

歌詞も再び「君が好き」というミクロな幸せに戻ります。世界の悲劇に涙しているわけじゃないんだけど、涙がこぼれる。幸せだから泣けるのかもしれないし、MVの様に「好きだから別れが余計に泣ける」のかもしれない。

風や川といった自然的な感覚と自分を一体化させて世界を肯定していく手法は「空風の帰り道」っぽい。


⑤高校の屋上へダッシュ。幸せを思い出しながら涙する。

時に嵐に たまに流れに
飲み込まれそうになるけど

2番サビの世界を肯定しようとする感情は、風→嵐、川→流れのように突然自分の意思に反して荒ぶり、押し流されそうにもなる。

 

⑥もう一度現在へ。大サビの屋上で爆発した彼女の気持ちは現在まで続いたままで、合コン、やけ酒…。

喧嘩しても 仲直りして
そうやって深まってけばいい
幸せなんか そこら中いっぱい落ちてるから
欲張らずに拾っていこう

押し流されて喧嘩になっても、もう一度仲直りすればいい。MVの状況とは裏腹に、歌の方では1番のサビに立ち返りつつも、大サビを受けた新たな発想が追加されます。この歌詞は家族愛・恋愛の話にも取れるし、2番の戦争へのメッセージにもなっています。

 

⑦一人で昼ご飯。仕事で怒られても、再挑戦する。

今まで現在と過去のシーンを交互に繰り返していたのが、初めて現在→現在と繋ぐことで、物語が動きます。再挑戦して大成功という安易な展開ではなく、変わらない日常の中で淡々と前を向こうとする姿だけを描いて終わるのが良い感じです。

君が好きで 君が好きで
切なさはやって来るんだよ
僕の世界はまたひとつ君と響き合って
風のように流れていく

感情が波立ってささくれ立つことがある。それは「君が好き」な以上どうしようもないこと。「切なさ」とは親目線で言えば子供の成長を指しているのかもしれません。互いの「響き合い」で良くも悪くも世界は続いていくもんだ、という相互干渉の受容。

 

⑧もう一度現在。高校時代と似た桜の並ぶ、川沿いを歩くと、彼と再会する。

川のように流れていく

 

曲自体はミクロな「君が好き」という感情を起点に世界全体すら肯定できる…かもよ?というなんてことない歌です。MVは幸せな高校時代と孤独な社会人生活という「ベタな」対比を使い、ラストで現在と過去が重なって今の自分を肯定してくれるという展開。原曲のミクロとマクロの視点の切り替えを、MVでは現在と過去の場面転換で視覚化していきます。

 

注目したいのが、その現在と過去をつないでいるのが「kind of love」というアルバム(あるいはそうしたポップス)を聞く行為である点です。ひびき自体もkind of loveに入っていそうな曲ではあるけれども、要は「聞き手の十人十色の思い出と一体化したポップソング」「なんてことないラブソングが人を時代を超えて繫ぐ」というメッセージにもなっている。「互いの響きの尊重」という曲の結論とも相まって、B-SIDEや、HOME in the fieldとのリンクを見出すことができます。

 

果たして窪田監督がどこまで意識的だったのか分からないけれど、HOMEからSUPERMARKET FANTASYまでの文脈で考えると多層的に読める部分もあって、良くできたMVだと思います。

 

ちなみに、ひびきはHOME in the fieldではB-SIDEからの唯一の選曲として演奏されています。その後しばらくお蔵入り状態でしたが、2015-16の対バンツアーで「違うミュージシャンが響き合うことの肯定」として久しぶりに演じられています(行きたかった)。