Revueの日記

Revueの日記

歌詞の解釈やライブレビューなど、好きな音楽の話を主に書いていきます。Mr.Childrenが中心になると思います。

【Mr.Children】ミスチルの嘘っぽさの受容 SENSEレビュー

 

SENSEはその名の通り、「聞き手に感じ取って欲しい」というアルバムです。そのためミスチルはこれまで、今作に込めた思いについて、インタビューなどで全く語っていません。おそらく当時の取材依頼は全て断ったのでしょう。取材を受けるようになったREFLECTION以降も、今作に話題が及ぶと言葉を濁している。

 

そんなSENSEのコンセプトを明らかにしようとするのが今回の記事です。ある意味作品を台無しにするような試みですが、発売からだいぶ時間も経っているし良いかなと。

SUPERMARKET FANTASYとの対比が中心になるので、以前の投稿の(上)だけでも読んで頂くとより分かりやすいと思います)

 

 

olsen-revue.hatenablog.com

 

 

アルバムの基本姿勢・販売形式=概論と、楽曲の内容=各論に分けて見ていきます。

 

【概論】ツンデレSUPERMARKET FANTASY

①基本姿勢

まず、基本的な枠組みは前作「SUPERMARKET FANTASY」から続いているものだと私は見ています。

 

つまりミスチル側からの主張・説教臭さをなるべく抑え、聞き手に自由に音楽を消費してもらうこと」を志向しています

前作の「現実の見方を変えて一歩進もう」だとか、SENSEにも各論で触れるように各曲を貫くテーマ性はありますが、そこがきちんと伝わるかどうかは、あんまりミスチル側は気にしていない。分からなくても、楽しんでもらえればいいですよ、という気持ちが前提としてある。

 

②独特の販売手法

ただ、SUPERMARKET FANTASYと対照的なのが、販売に際してミスチル側から積極的な発信をしなかった点。

 

メディアに出ない、フラゲ前日まで告知しないゲリラ的な広報、シングルCDを収録しない…前作が徹底して「売りに来ていた」のとは真逆の販売戦略を取っています。

 

リスナーはただ単に音楽を消費するのではなく、もっと能動的にコミットして欲しい。例えばSENSE Projectはそうした狙いの宣伝だったんでしょう。*1

 

今の時代、ネットで調べれば専門家の評論とか、こういうファンの感想とか、何でも出てきてしまう。あるいは雑誌やテレビを見れば本人が「こういうつもりで作りました」と語っている。

 

そんな風な誰かの言葉じゃなく、自分自身で感じてほしい。そうした音楽の「消費形態」を作り出そうとしたのがSENSE(とその宣伝)だったんじゃないのかなと思います。

 

SUPERMARKET FANTASYから、一捻りを加えているとも言えますし、ニシエヒガシエから続く「歌っている人柄はどうでもいいから曲を評価してくれ」という「匿名性への憧れ」が結実したプロモーションだったとも言えます。

 

桜井さんは配信ではなくCDにこだわる理由について「CD屋に行って、買ってきて封を開けて…そんなワクワク感も音楽の一部」という話をよくしていましたが、そうした思いと「CD一枚に全てを詰め込む」今回の売り方にはリンクするものも感じます。

(事前に配信で販売していたfanfareの音質がCDで大幅に改善しているのも意図的なんじゃないかとすら勘ぐってしまう)

 

③まとめ

ニコニコ顔で近づいてきたSUPERMARKET FANTASYに対して、あえて閉じて黙り込んで、客を引き込もうとするのがSENSE。その実アルバムの蓋を開けてみれば、いつも通りの「主張のない」ポップスが並んでいる辺りが絶妙なツンデレ感だと思います。

 

音楽的なスタンスは前作を踏襲しつつ、発信の仕方やリスナーとの距離の置き方を実験する。前作と逆の手段を取りながら、目指すゴールは同じ。

 

SUPERMARKET FANTASYは「水上バス」や「東京」のように、日常目線で虚構性の高いポップスを描いたアルバムでしたが、SENSEは後述するように多くの曲が「ミスチルの過去」をベースにしている。

その分抽象度が上がり、分かりにくくなってはいますが、「何にも言わない中身空っぽのポップスでいたい」という姿勢は変わっていません。

 

むしろ楽曲の事前解説がなく、歌詞も具体的でなくなっている分、全ての収録曲について聞き手が自由に心境を投影できるシングル曲のような聴き方ができる。射程の広さという意味で、SENSEはSUPERMARKET FANTASY以上にポップなアルバムだとも言えます。

  

「深海を匂わせたり、不気味な宣伝だったわりに曲は2000年代のいつものミスチルじゃん」という感想をネットで見たことがありますが、まさにそれが作り手の狙いだったんじゃないかと思います。

(せっかく切れの良いミスチルらしいポップスが並んでいるのに、閉じた雰囲気や単純な宣伝不足のせいで多くの人の耳に届かなかったのが残念です)

 

【各論】虚像性の受容と昇華

特異な売り方やこのような「分からなくてもいいですよ」という前置きから離れて楽曲に目をやると、虚構の中の未知なる可能性を見いだそう外形に惑わされずに自分の五感を信じようという主張が一貫して歌われていることに気付きます。

何となく良いこと風なメッセージですが、なぜ今作でこうした思いに行き着いたのか。ミスチル側からの説明がほとんどないので、前後の作品の文脈から考えます。

 

①問題設定

 「Mr.ChildrenMr.Childrenを超えること」。SENSE発売時の公式コピーでした。

 

一聴すれば分かりますが、序盤の「I」「HOWL」「I'm talking about lovin'」に過去作への意識が感じられる一方、「365日」の打ち込みや「ロックンロールは生きている」「fanfare」の思い切ったアレンジはミスチルとしては新鮮。「擬態」「Prelude」「Forever」は王道ミスチルサウンド。新旧の振れ幅を狙って付けてきている感じがあります。この楽曲のごちゃ混ぜっぷりと、このコピーをどう捉えるか、という視点を念頭に検討していきます。

 

②所詮ミスチルなんて…という自嘲

ミスチルの過去の成功に関して、桜井さんは「自分の音楽は本来受けるべき以上の評価をされている。自分は恵まれすぎている」とインタビューで語ってきました。その罪悪感を解消し、自分が過剰に音楽で得てしまった利益を社会に還元するため、ap bankの活動をやっている部分もあると。

 

虚像が肥大化し、本来の自分から一人歩きしてしまう。世間から見た自分たちは「紛いもの、胡散臭いもの」であり、セールス的には一流でも、音楽的には一流ではない。そんな自己卑下に近い思いを抱えている。たぶん深海の頃からずっと。

 

次作[(an imitation)blood orange]においても、自分自身を「情熱を失った張りぼて」や「虚言癖のある怪しい奴」に喩えています。一昨年の対バンツアーで毎回ミスチルの1曲目がイミテーションの木だったのは、素晴らしいミュージシャンに対する謙遜だったんじゃないかと思っています。

 

③マイナスからプラスへ

でも、もしそんな虚構に満ちたミスチルの過去を「自分」として受け入れられたら、その歴史を武器に、今の時代に向けた希望が歌えるんじゃないか。

虚構を繰り返す中から真実が見いだせるのではないか。隠れていた感情を掘り起こせるのではないか。SENSEはこんな視点から聞き手に訴えかけてきます。

 

SENSEのジャケットではクジラが海から飛び出しています。

これは深海の頃のように、ミスチルの虚像性を拒絶したり、自嘲して内にこもったりするのではなく、そうした欺瞞も全部受け入れた上で新たな表現に昇華しようとしている象徴だと思います。それが「過去のミスチルを今のミスチルが超える」という意味だろうと。*2*3 

 

これまでのミスチルにとって、自分たちが重ねてきた虚像性はマイナスのものだったかもしれない。しかしSENSEでは、その虚像性を聞き手にとっての希望に置き換えようとしている。座標軸を、境界を越え、負のエネルギーを否定するどころか、一気にプラスにまで転換してしまう瞬間の爆発力・生命力が、このジャケットには描かれている。

元々のSENSEアリーナツアーのセットリストにはHallelujahが入っていたとのこと。「なぜHallelujahだったのか」を逆算することで、価値観の転換に潜む無限の可能性と向き合うSENSEの姿が見えてきます。  

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※ここで概論的な話の補足。

SUPERMARKET FANTASYが物理的なコール&レスポンスの空白を作って聞き手とのコミュニケーションを図るスタイルだったのに対し、SENSEはこのように本能的な歌の衝動を介して、聞き手との心の距離を直接縮めようとしてきます。

すごくライブ的だし、SUPERMARKET FANTASY以降ライブが楽しめるようになった桜井さんらしい作風。歌詞の「!」「?」「!?」の多用に桜井さんがライブで観客に呼び掛けている姿が浮かびます。(一方で、これはSENSEツアーのパンフレットで桜井さん自身が仄めかしていることですが、「。。。」や「…」には「根源的な本能」を余韻として言葉にしないSENSE的な姿勢が現れています)

告知しない販売手法も「自分が直接聞かないと分からない」わくわく感・ライブ感演出だったとも取れます。また発信者は不特定多数に向けているのに、聞き手はプライベートな距離感で聞ける点で、桜井さんも大好きだという「ラジオ的」コミュニケーションに近いとも思います。 

 

 

④SENSEの目指すもの

こうしたSENSEの精神がはっきり現れているのが、アルバムラストに並んだ「Prelude」と「Forever」です。

 

Preludeはご承知の通り、ミスチルの過去の曲名や歌詞が取り入れられた作品です。

こういう手法は昔からありますが、過去のフレーズをパズルのように単純に当て込んだところで、つぎはぎで中身のない、ファンが喜ぶだけの作品になりがちです。桜井さんはなぜ、こうしたファンサービス的な手法をベスト盤でもアニバーサリーでもない今作で選んだのか。

 

それは、引用される過去のフレーズがその時々のミスチルの虚像性の象徴として機能しており、そうした欺瞞をあえて並べ直して歌うことに意味があるはずだ、というSENSEのコンセプトと合致しているからです。意図的に過去に依拠した中身のない曲を作っている。(ひたすらに比喩表現を並べ、比喩することのエネルギーで希望を歌う「擬態」も全く同じ発想です)

そして

長いこと続いてた自分探しの旅もこの辺で終わりにしようか

明日こそ誰かに必要とされる自分を見つけたい

とするように、過去の歌詞を取り入れながらもその過去を乗り越え、新しい希望を歌おうとする。*4

サビに出てくる躯(むくろ)とは死体のこと。一度死んだミスチルという列車が、虚構(過去の楽曲)を動力に再び動き出す。過去の数々の楽曲は、これからのミスチルが、あなたの希望を歌うための前奏曲だったんだ、ということです。

 

加えて、そういう「他者のために空虚な曲を作り続けるミスチルって辛くないの?」という疑問にForeverは答えている。

ともすれば ともすれば
人は自分をどうにだって変えていけんだよ
そういえば そういえば
「君の好きな僕」を演じるのは
もう演技じゃないから

1番サビで甘いフレーズに酔ったことへの「後悔」を口にしていたのに対し、2番サビでは演じる辛さに悩んできた深海の二項対立から完全に抜けています。

 

過去への後悔と現状肯定の狭間、桜井さんの声にならない叫びが響く間奏の最後に聞こえてくるのは、観客の拍手喝采です。

そして

どうすれば どうすれば

君のいない景色を 当たり前と思えんだろう

もはやメンバー4人だけでなく、観客・ファンの人生とも同化し、虚像と実像の境界が完全に消えてしまった現状と、これからのミスチルが歌うべきこと、ミスチルが背負った使命に想いが至る。

Forever
そんな甘いフレーズをまだ信じていたいんだよ
そう言えば 今思えば
僕らの周りにいくつもの愛がいつもあったよ

陳腐な甘いフレーズや、サビのど頭でForeverと繰り返すような単純な曲であっても、自分は自分の音楽を信じ、歌い続けたい。

なぜならそうやってミスチルが「紛いものの音楽」を続ける中でも、気付かないうちに多くの人が喜び、繋がってきたという事実を噛みしめているから。(桜井さんがB-SIDEの反響から気付いたように)

 

結局こうして見ると、雰囲気は全く異にしながらも、歌っている内容はほとんどエソラと変わらないことが分かります。ミスチルはツアーの集大成的な曲をツアー後のシングルで切る傾向がある、と蘇生の時に書きましたが、Foreverはシングルではないものの、SUPERMARKET FANTASYという「祭りのあと」の心境を素直に形にした作品でしょう。

 

概論でも触れた通り今作は、虚構として描こうとする対象がHOMEやSUPERMARKET FANTASYが主戦場としてきた「具体的な日常」から「ミスチルの過去」に変わりました。これによって従来より抽象度が上がり、一見すると閉じた印象を聞き手に与える。なのに、結論として歌われているのは前作と同じ「あなたの希望」という開けた思い。この矛盾がSENSEを分かりにくくしている原因と思われます。

 

⑤結論

③、④の「自身の虚像性を肯定し、希望を歌う」という発想。

どうしてSENSEのミスチルはこんなにも前向きなのか。

 

実は、ミスチルがこの境地に辿り着いたのはSENSEよりも前のことでした。

 

ミスチルの過去を観客に預けてお祭り騒ぎをしてみせたHOME-in the field-と、その苦々しさや嘘っぽさを「えーい」と受け入れて「ロックスター」を演じたSUPERMARKET FANTASY(とそのライブ)。いずれの作品においても、「客に消費してもらう」とは、「ミスチルらしさ」といった分かりやすい物差しで音楽をトリミングし、客に咀嚼してもらうことであり、ミスチル側からすればそれは、「客が期待する虚像」を引き受けることを意味します。

 

この2作の成功(=消費の肯定)とSENSEは地続きにある。*5

 

一文でまとめるなら、

「SENSEはミスチルの虚像性を希望に変換するというHOME-in the field-とSUPERMARKET FANTASYのメンタリティを、過去曲を引用しながら描いた作品」です。

 

1曲目の「I」で形式(虚構)やエゴに埋もれ、外部に対して徹底的に閉じていた主人公は、嘘くさい過去や現在の心境を走馬灯のように振り返りつつ、どこかに隠れているはずの希望を求め続ける。そして最後には空虚な過去を受容し、他人の希望につなげようとする「Prelude」の心境にたどり着く。

 

Atomic heartまでの成功→深海~DISCOVERYで向き合った絶望→Qで手にした他者の肯定→B-SIDE~SUPERMARKET FANTASYで成し遂げたミスチルという存在への自己肯定。

SENSEはまさにミスチルの、桜井さんの音楽観の変遷が描かれたアルバムなのです。*6

 

*1:ネットでの口コミの拡散を狙うとか、先進的なマーケティングをやろうとした姿勢は見えるものの、セールス的には激落ちですし、世間向けには全然機能しなかったというのが正直な感想です。私の周りも「え、ミスチルアルバム出してたの?」という反応がほとんどでした。個人的には深夜の謎CMとか謎URLで散々騒いで楽しかったですが。

*2:またも深海からの脱出であり、こうしたアプローチはPOP SAURUS2001にも通じる部分があると思います。

*3:「過去の自分を今の自分が演じ直すことで新鮮味を探す」というコンセプトは、SENSEの前に作ったSplit the differenceも全く同じです。こっちの作品は今になってみると、SENSEに繋がる過程(収録曲やライブで演奏予定の過去曲、そしてアルバムの精神自体)をファン向けにちょい出ししていた、という評価もできます。

*4:この歌詞はSUPERMARKET FANTASYドームツアー本編ラストの終わりなき旅と直結しています。「声」の記事参照。

*5:この成功は[(an imitation) blood orange]までの一連の創作に大きな影響を与え、REFLECTIONでその潮流は一端断ち切られたと考えています。

*6:2010年のSENSE製作時点で、その次のアルバムがベスト盤になることは当然決まっていたはず。その前に過去の総決算に挑んでみたのかもしれません。