Revueの日記

Revueの日記

歌詞の解釈やライブレビューなど、好きな音楽の話を主に書いていきます。Mr.Childrenが中心になると思います。

【Mr.Children】声 SUPERMARKET FANTASY考(下)

 

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SUPERMARKET FANTASYの話もようやくこれで終わりです。

 

ここまで見てきたように、このアルバムのテーマは「消費の肯定」です。

 

ここには、配信が主流となり、昔のようにCDが売れない業界への思いも強く込められています。

 

音楽が娯楽の中心ではなくなりつつある時代にあえて挑むかのように、収録曲には過去に例がないほどの大型タイアップを付けまくり、初回版特典DVDも豪華に、雑誌もテレビも出まくる。「音楽で勝ち負けをつけたくない」と言っていたのに、初めて紅白にも出演。「花の匂い」を初の配信限定シングルとしてリリースし、このお祭りの集大成として「fanfare」も配信する。

 

単なる商業主義と切り捨てる人もいるかもしれませんが、好意的に見ればこの時期のミスチルは、知名度も体力も抜群の彼らにしかできない、彼らなりの勝負を世間に仕掛けていたんだと思います。

 

 

【声】

君の声が聞きたい

実験的な曲ですが、ここまでの内容を踏まえると桜井さんのやりたいことが良く分かります。サビの歌詞を無くし、ライブを想定した叫びだけにする。まさにSUPERMARKET FANTASYの肝であり、地味な歌なのに終末のコンフィデンスソングスでもドームツアーでも抜群の扱いを受けています。4人+小林武史の音だけで力強く奏でるシンプルさからも、この曲への思い入れが伝わってくる様な気がします。

「終末のコンフィデンスソングス」ツアーでは、「ひとつにならなくていい」と歌う掌の叫びがそのまま声に直結します。ひとつにならなくても、それぞれが自分なりの気持ちを乗せて歌えばいい、という思いが込められているんだろうと思います。

ドームツアーでは1曲目として客席のど真ん中から登場し、客に囲まれて歌います。本編ラスト前でも再びセンターステージで歌います。

 

付言すると、「声」で1曲かけてやっていることをよりポップにまとめたのがエソラです。「Oh Rock me baby tonight」という浮きまくったフレーズは、ライブを想定して仕込んでいるものです。当初からこの2曲は並列で作られてきたというので、兄弟みたいなものかと思います。

 

言葉はなかった

メロディーすらなかった

リズムなんてどうでもよかった

喉まで上がった

もやもやがあった

大声で叫びそうになった

歌詞もメロディもどうでもいい。ミスチルが歌う内容なんて気にしなくていい。ただ一緒に叫びたい。

 

この街にあふれてる

スピーカーから流れてる

でも君にぴったりの歌を

僕は探している

街のスピーカーから流れる商業音楽を否定し、君にぴったりの音楽を届けたいと歌う。「無味乾燥な不特定多数ではなく、あなたに」というメッセージは深海の頃からずっとMr.Childrenが歌ってきたことです。エソラではヘッドフォン(個々に音楽が届く距離感)の音楽に酔いしれようと歌っており、音楽の「消費のされ方」に意識を向けつつ2曲が対比されています。

 

昔は嫌いだった

なんか照れくさかった

でも誰かに好かれたかった

ファルセット出なかった

ハモるの下手だった

だけど三度下を歌いたがった

以前の自分は苦手だったけれど、今は主旋律(エゴ)ではなく、君の歌を支えるような歌が歌いたい。

 

時には悲しんだり

時には喜んだり

君が鳴らす音楽に

そっと寄り添っていたい

Mr.Childrenが喜怒哀楽を表現し、聞き手側に共感してもらうのではなく、君の感情の動きをひたすらに受け止めたい。

 

言葉はなかった

メロディーすらなかった

リズムなんてどうでもよかった

胸にしまってあった

もやもやがあった

たまらなく君に逢いたかった

こんな歌は歌と呼べるのだろうか、以前は迷いがあった。でも、とにかく今は君の声が聞きたい。

 

ここで街の雑音が流れる。こんな日常で垂れ流されるどうでも良い音楽の一つが、この「声」なんだろう。

 

別に巧くなくていい

声が枯れてたっていい

受け止めてくれる誰かが

その声を待っている

「枯れていても良いから叫べ」というメッセージ。

ここの歌詞だけはMr.Children自身に向けられているように思えます。桜井さん自身も加齢の影響か、思うような声が出にくくなっていた時期。また、「I ♥ U」辺りからライブでやたら走り回るようになり、その理由として「音楽的なパフォーマンスの安定度よりも、必死で走り回って苦しい中で歌っている姿を見せる方が伝わる物があるはず」と発言していた心境ともリンクしていると思います。

(座りながら観賞した虹ツアーや、あんまり走り回らないThanksgiving25を見て、そういう時期も終わったんだなあとしみじみしました)

 

なお、ドームツアーでは最後の2行を「僕は今日も待ってる 君の声を待ってる」と言い換えて、観客に向けた歌詞であることを強調しています。なんだかんだ言ってもミスチル自身の作品である以上、アルバムでは自己言及的な歌詞を持ってきつつ、「聞き手が主役」であるライブで表現を変えるというのはなるほどなーという気もします。

 

このドームツアーでは、観客の「声」がそのまま終わりなき旅の前奏へと繋がっていきます。

 

終わりなき旅は本来Mr.Children自身の苦しみや、それを乗り越えようとする姿勢を描いた私小説的な作品ですが、この曲はファンにとっても自らの一部の様に変容し、何度も何度も歌い継がれてきました。このドームツアーでついに桜井さんは、そうした観客の気持ちをも背負って叫ぶ。

 

「どこかにあなたを必要としている人がいる」

 

ミスチルにとってあなた(聞き手)こそが大切。それ以上に、あなたは別の誰かにとっても大切な存在。人と人が繋がり、関係が伝播していく。「花の匂い」にも通じるメッセージです。

 

ミスチルの歌が「あなたの歌」へ。SUPERMARKET FANTASYのライブは、POP SAURUS2001ではできなかった「終わりなき旅のポップ化」を持って締めくくられるのです。

 

このアルバム、発売直後の私は「明るいけど何か全体にぬるいし、どこがロックなんだろう」と、イマイチ出来に納得できませんでした。

 

そこから色んなインタビューを読みつつ、SENSEや[(an imitation) blood orange]を聞くにつれて、こういうことがやりたかったのか、と少しずつ合点がいくようになり、今では大好きなアルバムになりました。今作で「ミスチルが凡庸なポップスに成り下がってしまった」と感じている人にこそ、この3本の記事を聴き方の一つの物差しにして頂ければ幸いです。