もうメロディも歌詞もどうでも良いから一緒に音楽に酔おう、という曲。すごくストレートで解釈の余地もほとんどないですが、ライブで歌ってる姿がすごく良いので今更ながらただただリンクを貼りたい。という記事です。
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もうメロディも歌詞もどうでも良いから一緒に音楽に酔おう、という曲。すごくストレートで解釈の余地もほとんどないですが、ライブで歌ってる姿がすごく良いので今更ながらただただリンクを貼りたい。という記事です。
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1stアルバム収録曲。
例えばミスチルは「輝く星になれたら僕らはつながっていける」と歌いますが、この人達は「ぼかぁ勝手に輝きますよ」という感じ。
曲の質も、歌の魅力も、見た目のバランスも抜群だったのに。andymoriが売れないなんて日本の音楽業界は腐ってるぜ!という見方もできますが、この曲を聞くとやっぱり、「他者と共感してしまうこと」を避ける気持ちがはっきり出ている。自分の表現を守るために、世間に一歩踏み込むことを拒んでいた、というのはその後の彼らの活動を見ても分かると思います。
小山田さんの歌は、いつも万物を包む「夜」がやってくる。あるいは「夕方」、焦燥感と共に、今のうちに何か叫ばなくちゃ、と刹那的な生命力を爆発させる。
でも、どうやったって夜が来るのを止めることはできない。その諦観というか輪廻感というか、達観したような孤独を歌っている。まさしくメメント・モリでもありますし、1stの5曲目という謎タイミングで「ハッピーエンド」を持って来る辺り、もうこれは彼に染みついた人生観なんだろうなと思います。
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SUPERMARKET FANTASYの話もようやくこれで終わりです。
ここまで見てきたように、このアルバムのテーマは「消費の肯定」です。
ここには、配信が主流となり、昔のようにCDが売れない業界への思いも強く込められています。
音楽が娯楽の中心ではなくなりつつある時代にあえて挑むかのように、収録曲には過去に例がないほどの大型タイアップを付けまくり、初回版特典DVDも豪華に、雑誌もテレビも出まくる。「音楽で勝ち負けをつけたくない」と言っていたのに、初めて紅白にも出演。「花の匂い」を初の配信限定シングルとしてリリースし、このお祭りの集大成として「fanfare」も配信する。
単なる商業主義と切り捨てる人もいるかもしれませんが、好意的に見ればこの時期のミスチルは、知名度も体力も抜群の彼らにしかできない、彼らなりの勝負を世間に仕掛けていたんだと思います。
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続きです。
(上)では、Mr.ChildrenがSUPERMARKET FANTASYで「客か自分か」という二項対立を抜け出して、消費を肯定できるようになったと書きました。
ではなぜそれが可能になったのか。それを辿るには、HOME発売以降の流れを追う必要があると考えます。
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「俺の考えを聞いて!」というエゴと、「どうでもいいから好きなように楽しんで」と受け手に委ねる感覚。優れたポップミュージシャンは、この対立する要素のバランスを上手に取ることができます。
ミスチルの場合、HOMEまでは「桜井和寿の人生論」が滲むような歌詞も多く、エゴがある程度前に出た作風でした。ある意味「説教臭い」。
ところが、2008年のSUPERMARKET FANTASYで大きく舵を切り、「客を歌わせる」方向へと進みます。説教臭くない代わりに、桜井さんが歌わないシーンが増える。
普通、エゴを抑えて大衆に「迎合」した曲を作ったり、客に好き勝手やらせるライブは、客は喜んだとしても演者側にとって苦痛を伴うものです。
しかしSUPERMARKET FANTASYは、エゴか客かという「二項対立」を打ち破り、「演者も楽しく、客に歌わせること」を志向しています。溢れ出るエゴを抑圧するのではなく、そもそも演者側の主張が完全に消えている、仙人みたいな佇まい。
どうしてこういう表現が生まれたのか、このアルバムは何を言いたいのか、3回に分けて書いていきます。今回は今作の新しさについて、過去作との対比で考えます。
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himawariの記事で言いたいことはだいぶ吐き出せたので、ここからは思いつくままに過去の曲をレビューしていきます。
何書こうか考えましたが、やっぱりミスチルから。大好きな曲を選びました。
【概論】
ポップへの回帰と新しいミスチル像
アルバム「It's a wonderful world」の1曲目。POP SAURUS2001を経た、新生ミスチルの門出を象徴する1曲です。
POP SAURUS2001は、初期のラブソング路線や深海、DISCOVERY~Qを含めた全ての時期の活動を相対化・パッケージ化し、Mr.Childrenというバンドの変遷をエンターテイメントとして再現したライブでした。最後に披露された新曲「優しい歌」は、「過去の後悔の歌との決別」と、「優しい歌を歌う宣言」を込めたメッセージソングでした。*1
ミスチルはアルバムツアーを終えると、そのアルバム+ツアーで描いた世界観の集大成的な曲をシングルで切ってくる傾向があります。
その意味で、蘇生は「肉・骨」というアルバムをひっさげた「POP SAURUS2001」ツアーを終えた「新しいミスチル像」の象徴であり、シングル未カットながら、歌詞的にもサウンド的にも、ツアー後のシングル的な立ち位置にある曲だと思います。
過去のMr.Childrenの希望と絶望を全てポップスとして消化し直し、大衆に向けた「優しい歌」を洗練させていく。「ああ世界は素晴らしい」と突き放して皮肉るのではなく、「醜くも美しい世界」を「無駄なことなんてない」と肯定する。これが蘇生の体現する新しいミスチル像です。そして、このスタンスこそが、現在のミスチルの基礎となっている「ポップの再検証」そのものと言えます。*2
また、蘇生を理解するために必要なもう一つの要素に、「It's a wonderful world」製作時期とちょうど重なって起きた9・11があります。誰もが信じてきたアメリカ的な「正しさ」が崩れる世界で、混乱の中でもぶれない指標としてポップが持つ強靭さを、ミスチルはアルバムを通じて描こうとします(21stシングル「youthful days」や22nd「君が好き」の様に)。
POP SAURUSを含むミスチルの紆余曲折の歴史と、現実の世界情勢の不安定化。この2つの混乱=酸いも甘いもを噛み分けて、それでもポップであろうとする姿勢を詰め込む。これがアルバム「It's a wonderful world」の世界観であり、その精神を1曲に集約したのが蘇生です。想像するだけでもしんどい試みなのは良く分かりますが、このアルバム自体がそれだけの意欲作だったと言えます。
2002年の「on DEC21」から2007年の「"HOME" TOUR」 までツアーで皆勤賞だった辺りからも、作り手側の蘇生への自信と手応えが推察できます。2001年以降のミスチルを考える上で、外せない1曲です。
*1: アマチュア~初期の様な素朴なアレンジで、深海~Qで磨いてきた4人のグルーブを活かし、かつ新機軸への決意表明でもある。過去10年の集大成、あるいは一回りして大きくなった上でスタートに戻った感がある1曲です。
*2:アルバムごとに主張や表現方法は違いますが、[(an imitation) blood orange]までは完全にこの世界観の中にあったように思います。REFLECTIONは「抜け出そうとする雰囲気が出てきた過渡期」という印象で、前回触れたように「虹」ツアーからリスナーを突き放す様な曲がちょくちょく出てきたかなあ、というのが個人的な感覚です。
1発目のエントリーはMr.Childrenの新曲「himawari」のレビューです。
元々ミスチルは大ファンなのですが、この曲には色んな意味で心を掴まれました。この気持ちを文字に残しておきたいと思ったこと、これが当ブログを始めた最大のきっかけです。
さっそく、つれづれ書いていきます。
Mr.Children「himawari」、「君がいた夏」と重ねて聴くとさらにヤバい。曲同士の情景が重なるのはもちろん、25年の希望と絶望のらせん階段がそこにはあり……。このタイミングでこういう曲を作り、シングル表題としてさしてくるこの凄味よ……。
— Base Ball Bear 小出祐介 (@Base_Ball_Bear_) 2017年7月30日
Base Ball Bear小出祐介さんのツイッターでのhimawari評の一部です。
この解釈方法に完全に乗っからせて頂いて、最新シングル「himawari」と1stシングル「君がいた夏」の歌詞を比べてみるとなかなか面白いなーと。
結論から言うと、himawariは別れの絶望という心情を当事者自らが叫ぶロック的なアプローチを取っているのに対し、君がいた夏は別れを俯瞰し、文字通りポップ化している。2曲はひまわりという共通項も含め、似たモチーフでありながら対極にあると思う、という話です。
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