Revueの日記

Revueの日記

歌詞の解釈やライブレビューなど、好きな音楽の話を主に書いていきます。Mr.Childrenが中心になると思います。

【Mr.Children】蘇生 ポップの再検証

 

himawariの記事で言いたいことはだいぶ吐き出せたので、ここからは思いつくままに過去の曲をレビューしていきます。

 

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何書こうか考えましたが、やっぱりミスチルから。大好きな曲を選びました。 

 

【概論】

ポップへの回帰と新しいミスチル

 

アルバム「It's a wonderful world」の1曲目。POP SAURUS2001を経た、新生ミスチルの門出を象徴する1曲です。

 

POP SAURUS2001は、初期のラブソング路線や深海、DISCOVERY~Qを含めた全ての時期の活動を相対化・パッケージ化し、Mr.Childrenというバンドの変遷をエンターテイメントとして再現したライブでした。最後に披露された新曲「優しい歌」は、「過去の後悔の歌との決別」と、「優しい歌を歌う宣言」を込めたメッセージソングでした。*1

 

ミスチルはアルバムツアーを終えると、そのアルバム+ツアーで描いた世界観の集大成的な曲をシングルで切ってくる傾向があります。

 

その意味で、蘇生は「肉・骨」というアルバムをひっさげた「POP SAURUS2001」ツアーを終えた「新しいミスチル像」の象徴であり、シングル未カットながら、歌詞的にもサウンド的にも、ツアー後のシングル的な立ち位置にある曲だと思います。

 

過去のMr.Childrenの希望と絶望を全てポップスとして消化し直し、大衆に向けた「優しい歌」を洗練させていく。「ああ世界は素晴らしい」と突き放して皮肉るのではなく、「醜くも美しい世界」を「無駄なことなんてない」と肯定する。これが蘇生の体現する新しいミスチル像です。そして、このスタンスこそが、現在のミスチルの基礎となっている「ポップの再検証」そのものと言えます。*2

  

また、蘇生を理解するために必要なもう一つの要素に、「It's a wonderful world」製作時期とちょうど重なって起きた9・11があります。誰もが信じてきたアメリカ的な「正しさ」が崩れる世界で、混乱の中でもぶれない指標としてポップが持つ強靭さを、ミスチルはアルバムを通じて描こうとします(21stシングル「youthful days」や22nd「君が好き」の様に)。

 

POP SAURUSを含むミスチルの紆余曲折の歴史と、現実の世界情勢の不安定化。この2つの混乱=酸いも甘いもを噛み分けて、それでもポップであろうとする姿勢を詰め込む。これがアルバム「It's a wonderful world」の世界観であり、その精神を1曲に集約したのが蘇生です。想像するだけでもしんどい試みなのは良く分かりますが、このアルバム自体がそれだけの意欲作だったと言えます。

 

2002年の「on DEC21」から2007年の「"HOME" TOUR」 までツアーで皆勤賞だった辺りからも、作り手側の蘇生への自信と手応えが推察できます。2001年以降のミスチルを考える上で、外せない1曲です。

 

【各論】

有名なエピソードですが、リチャード・ギアが何かのテレビ番組で話していたダライ・ラマの言葉「人は1日1日生まれ変わる」。歌詞全体のイメージはここから来ています。この哲学をシンプルなポップミュージックにできたら面白いのでは、と。

 

 

前奏となる「overture」は、ノイズ・混乱からの再生の象徴。他の「It's a wonderful world」収録曲や「さよなら2001年」を聞くと、この時期の作品はデジタル音=世界の不穏さのイメージになっている印象です。小林Pのアイデアでしょうか?

 

打ち込み音にギターが絡むというミスチルとしては新鮮な展開から蘇生の幕は開きます。

 

二車線の国道をまたぐように架かる虹を

自分のものにしようとして

カメラ向けた

 

光っていて大きくて

透けてる三色の虹に

ピントが上手く合わずに

やがて虹は消えた

 「虹」はミスチル頻出ワードです。基本的に「自分から離れた場所にある夢・希望」の比喩として使われ、ミスチルの創作活動の起点となるような重要な曲に入っていることが多いです。(虹の彼方へ、星になれたら、innocent world、雨のち晴れ、Mirror、口笛、蘇生、僕らの音、幻聴、ヒカリノアトリエ…)。

 

主人公の立ち位置(国道から空を見上げる)を示しつつ、「虹」の写真を撮り逃したと具体的なエピソードを語る。*3

視覚的にもテーマ的にも曲の土台を作る、まさしく導入部。ちなみにこれは桜井さんの実体験らしいです。

  

胸を揺さぶる憧れや理想は

やっと手にした瞬間に その姿消すんだ 

  前段のエピソードの言い換え。「理想論を本当に自分のものにするのは難しい」と示すと同時に、「ALIVE」や「GIFT」で歌詞にしている「夢だった音楽業界の頂点に立った先には何もなかった」という桜井さん流の虚無感を描いているとも言えます。

 

でも何度でも 何度でも

僕は生まれ変わって行く

そしていつか君と見た夢の続きを

暗闇から僕を呼ぶ

明日の声に耳を澄ませる

そうだ 心に架けた虹がある 

 「でも何度でも」「君と見た夢の続きを」。過去を反芻しながらも、前を向く。

桜井さんは基本的に未来をあまり希望に満ちたものとしては描きません。Tomorrow never knowsと同様、明日は「暗闇」に喩えられ、おびえながらも暗闇と向き合うことが必要だと説きます。

 

2番Aメロ。

カーテンが風を受け

大きくたなびいている

そこに見え隠れしている

テレビに目をやる

 

アジアの極東で

僕がかけられていた魔法は

誰かが見破ってしまった

トリックに解け出した

1番が道路でカメラを構えた主観だったのに対し、2番ではわざわざ「アジアの極東」という単語を使い、グローバルな視点に持って行きます。

ここは抽象的で難しいんですが、1番の「桜井さんとミスチルの過去」というミクロな経験談との対比で考えると、ポスト9・11の世界を歌っているんだろうと思います。テレビが描いてきた既存の価値観を外の世界の「風」が乱す。信じてきた秩序がトリックだと分かり、崩れていく。テレビ画面にノイズが入るのではなく、カーテンが邪魔をするという言い回しが曲の雰囲気とマッチしていて面白い。

 

17年9月10日追記:「カーテン」はMirrorでは愛の象徴になっています。そうした抽象的な概念が揺さぶられ、成立しにくくなっている当時の世界を表現しているのかもしれません。

 

 

Bメロ。

君は誰だ?そして僕は何処?

誰も知らない景色を探す

旅へと出ようか

 これも同じ文脈だと思います。不特定多数の「君」(=聞き手)と一緒に、世界が羅針盤を失った時代だからこそ描ける夢や希望を求めてミスチルは旅を続けると。

 

2番サビ。

そう何度でも 何度でも

君は生まれ変わっていける

そしていつか捨ててきた夢の続きを

ノートには 消し去れはしない昨日が

ページを汚してても

まだ描き続けたい未来がある

サビ頭は「そう」。Bメロからの繋がりも含め、1番サビと比べて主人公の決意がより確かなものになっています。

ここでは innocent world以降の多くの曲に出てくる、「夢を追った結果誰かを傷つけてしまった」「自分自身も汚れてしまった」感覚が歌われます。過去を背負いながらも、夢を描くことをやめないという決意表明です。

 

叶いもしない夢を見るのは

もう止めにすることにしたんだから

今度はこのさえない現実を

夢みたいに塗り替えればいいさ

そう思ってんだ

変えていくんだ

きっと出来るんだ

Mr.Childrenの歌詞の中で一番好きなフレーズです。

 

レトリックを引用し、崩すことで、ポップ性を保ちながら価値の転換を可能にする。桜井作詞術の真骨頂です。最後の3連発を後押しする田原さんの大きなストロークが勇気をくれます。

 

「認識を変えれば世界が変わる」という発想はエソラにも通じる部分があります。ミスチル流ポップスの根源は、この段階で既に現れていたのかもしれません。

 

 ラストのサビ。

僕は生まれ変わっていける

1番「僕は(自然と)変わっていく」→2番「君は変わっていける」→ラスト「僕は変わっていける」。次第に自身の決意に意識が向いた表現に変わっています。

 

今も心に虹があるんだ

何度でも 何度でも

僕は生まれ変わっていける

そうだ まだやりかけの未来がある

 ほとんど同じ内容の繰り返しです。

 

【まとめ】

手にしたと思った夢は幻想だった。つらい経験もした。夢をめぐる世の中の価値観は揺らいでいる。それでも、未だに自分の「心の虹」は消えていない。ポップの領域でミスチルがやれることはまだまだ残っている。

 

抽象的な歌詞のため、解釈はいくらでも可能だとは思いますが、蘇生はアルバム「It's a wonderful world」を象徴する曲なんだ、という前提に立てば、1・2番Aメロの対比構造なんかはこんな感じなのではと思います。 

 

*1: アマチュア~初期の様な素朴なアレンジで、深海~Qで磨いてきた4人のグルーブを活かし、かつ新機軸への決意表明でもある。過去10年の集大成、あるいは一回りして大きくなった上でスタートに戻った感がある1曲です。

*2:アルバムごとに主張や表現方法は違いますが、[(an imitation) blood orange]までは完全にこの世界観の中にあったように思います。REFLECTIONは「抜け出そうとする雰囲気が出てきた過渡期」という印象で、前回触れたように「虹」ツアーからリスナーを突き放す様な曲がちょくちょく出てきたかなあ、というのが個人的な感覚です。

*3:カメラのフレーミング=人工的なものでは捉えられない、という意味もあるかもしれません。Mirrorや名もなき詩と同様に「万人受けする虚構のラブソングではなく、あなたの心に寄り添う曲を歌いたいんだ」というイメージ。