藤巻亮太というアーティストは、宇宙のモチーフを多用します。宇宙が好きだとよく語っています。
中でも「月」は歌詞に頻出します。
そんな彼の「月」の使い方を初期から追ってみよう、という企画です。音源もいくつか貼っていきます。
砂漠を歩きましょう 月は砂をなじる
一人で歩けるさ 朝顔の種を蒔き
夜の砂漠の孤独の中でも心に水を満たして花を咲かせよう、という歌。夜の明かりとして月が出てくる。
レミオロメン - 朝顔
【すきま風】「朝顔」収録。
すきま風 すきま風
忍び足 窓に月の灯が
なびいたカーテンに月の灯が
冷え込んだ部屋に月の灯が
寝れない夜の焦燥感の歌。月は不安な光。
【追いかけっこ】「朝顔」収録。
どうして陽が傾いた 月が太陽追いかける
「自分の無力さを噛みしめながらも、何かができるはずと漠然と信じている」という歌です。月は影の象徴で、決して太陽に追いつけない存在。
【3月9日】2004年。3rdシングル。2ndアルバム「ether」収録。
昼前の空の白い月は なんだか綺麗で見とれました
この曲は新たな門出のイメージ。これまでマイナスな存在として描かれてきた月すらも、ぼんやりと肯定的に見えている。*1
【夏前コーヒー】2004年。4thシングル「アカシア」収録。
雲の隙間の今夜の月は綺麗です あなたのようにふわりと揺れた
もう眠ってしまいたいな 朝になれば 全部忘れているかな
いなくなってしまったあなたへの思いを蒸し暑い部屋でねっとりと考える歌。遠く美しくて手の届かないあなた=月。朝になれば消えている?
【茜空】2007年。10thシングル。
夕べの月の 一昨日の残りの 春の匂いで目が覚める
茜空 痩せた月夜さえも
朝へと染め上げるから
夜と朝の狭間で 始まりの孤独の染まろうと
瞳には未来が輝いているそう春だから
アイランドの夜から、「パラダイム」を挟んで発表されたのがこの曲。春の予感。希望の象徴としての茜空と月夜の対比。 アイランドは後述します。
【星取り】2008年。4thアルバム「風のクロマ」収録。
手のひらほどの月が見えた あの夏の景色重なった
時の流れの中で一人になってしまった自分が過去を振り返る歌。月は以前と変わらない輝きの象徴。
【オリオン】2009年。16thシングル「恋の予感から」収録。
夜空を満たす風が月光を泳いでいる
眩しい雪の反射 羽ばたいた無名の渡り鳥のような青い月
クリスマスの歌。月は夜の冷たさの象徴。
【大晦日の歌】2010年。5thアルバム「花鳥風月」収録。
月は半月を少し欠いて
月が沈む頃にはきっと 年も明けるね
初夢の中で会うまでおやすみ 欠けた月の下で
不安定・不格好な生活の中に感じるひとときの幸せを歌った作品。2人の関係が不完全な三日月に喩えられつつ、時間的変化のイメージにも重ねられている。
【Tommorow】「花鳥風月」収録。
真っ白な月を見ながら堪えた 悔し涙で滲んだ
星空は綺麗だった 何倍も明るかった
Ah 明日はその向こう そうさ明日があるさ
1行目はアイランドの続きっぽい。涙で景色が滲むことで星空の美しさに気付き、夜の向こうの明日に思いを馳せる、という構成。
個人的には、これまで藤巻氏が歌ってきた「月」の悩ましさに対して「明日があるさ」との回答があまりにあっさり過ぎるように思えて、やっぱり花鳥風月の頃の歌詞は物足りないなあと感じてしまう。
このように色々とありますが、基本的に「冷たさ」「夜」「苦しさの中の輝き」というイメージで括られているように思います。
こうした用法の中で、特に「月」使いが秀逸だと感じるのが、「アイランド」と、ソロ楽曲の「月食」です。
【アイランド】2006年。ライブアルバム「Flash and Gleam」収録。
3rdアルバム「HORIZON」を出してイケイケだった頃に発売した今作。
このアルバムは2枚組で、Flashがそのイケイケな、観客の歓声の中で盛り上がるレミオロメンのライブ音源。一方のGleamには新曲「アイランド」の音源だけが納められました。アイランドは「暗すぎ」という理由でシングルカットできず、こういう形になったのだとか。
Flashの中で失っていったもの、肥大化する虚像に対して藤巻氏がどうしても拭い去れなかった違和感がストレートに吐露された作品です。
"Your songs "with strings at Yokohama Arena レミオロメン-アイランド - YouTube
歌詞を初めから見ていきます。
君に好かれて 君からは嫌われたんだ
僕は後ろ側 仮面を忍ばせる
昔からのファンが離れても、嘘を背負ってでも生きていかないといけない。
笑った顔は引きつって 流した涙は冷めていた
理想や愛の言葉は口よりも前に響かない
心臓の音が鼓膜破るよ
HORIZONには分かりやすいラブソングや、デビュー以来避けてきた英詩も使われています。そんな自分に対して、内的衝動が暴れだす。
彼方から三日月の明かりに照らされた道
僕はどこに行けばいい 外は冷たい風 すすきが揺れているよ
夜にたたずんでいる。「太陽の下」にはいない。スタンドバイミーのような夏が終わり、時間の変化と迷いの中にいる自分を照らす、不完全な三日月。
光を求めて 闇も捨てきれなくて
僕は灰色の空を眺めている
レミオロメンが初期のような路線を捨てて良いのか、多くの人の共感を選ぶべきなのか。
蝋燭の灯かり頼って 心を旅してるんだよ
そこで見つけてしまった たとえそれが醜さであれ
体温を抱いて呼吸続くよ
模索する中で見つけたものを信じて進むしかない。
体からただ あの夢が褪せてくのを見ていた
僕は君に会いたくて 風のまどろみの中飛び込んで震えているよ
デビュー時のように夢を追い続けることはできないと分かっている。
戻れないかな 戻れないよな
届かないよな それが時なら
時間の流れを受け入れるしかない。なるようにしかならない。
遠い記憶の太陽が僕の心に入り込むことはなくて
瞳を閉じて 時は止まらず 人は変われない
記憶の太陽=過去の情熱?が今の自分の心を突き動かすことはない。強烈な諦観。
彼方から三日月の明かりに照らされた道
僕は何処へ行けばいい 外は冷たい風 星空が揺れているよ
答えを待ち 居場所なくし 汚れてしまった
僕の純粋のような 欠けた月の明かりで 君の影探しているよ
戻れない 時の波泳いでいるよ
太陽という情熱を反射して輝くはずの月も純粋さを失い、三日月になった。朝が来ることはなく、半端な月明かりの下で、時の流れの中をもがいていく。
藤巻氏が6分間にわたり海で溺れ続けるひたすら苦しそうなPVも印象的です。*3
【月食】2012年。藤巻亮太2ndシングル。1stアルバム「オオカミ青年」収録。
紆余曲折を経て、ルーチンワークとか、レミオロメンではできない表現を求めて藤巻氏はソロの道を選びました。
そして生まれたのがこの「月食」。藤巻氏の世界観がこれでもかと、超ストレートに描かれています。
アイランドが「海から欠けた月を見上げる苦しさ」だったのに対して、この曲は「自分が月面にいて月食を体験したら、究極の孤独を味わうんじゃないか」という視点に立っています。
月食は地球の影で月が欠ける現象。
普通の人が月食について歌おうと思ったら、欠けていく月を地球から見上げる歌を書くでしょうが、今回の藤巻氏は月の満ち欠けを論じるのではなく、月側から地球を見るとどうなるんだろうという歌を作った。孤独を突き詰めた結果、月にたどり着いてしまった。
月面には自分以外誰もいない。自分と太陽の間にみんなが住む地球=外界が入り込むせいで、自分の輝きの源だったはずの太陽の光が完全に失われてしまう。世界が光を浴びるほど、自分の空間はどんどん暗くなっていく。そして孤独の中で「太陽はどこだ」と何度も叫ぶ。
ずっと描いてきた「月」シリーズの集大成であり、他者への共感を一切廃した強烈な楽曲です。
一番おいしい後半が公式だと聞けないので…。この動画の2曲目です。
地球の影 月食
奇跡だね 月食
綺麗だね 月食
月の影 月食
太陽はどこだ